考えたこと2

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原発のいじめ
昭和41年には「不登校」という言葉はなく、「学校嫌い」だったらしい。
当時は社会に「学校に行かない」という選択などなく、そんなことは許されなかったし、親も許さなかった。
「そもそも学校は行くもの」だったから単に「学校嫌い」という言葉になっていたんだろう。
ぼくの小中高の経験を通じて、転校はあっても、「不登校」というのは覚えがない。

学校嫌いはいた。
というより、行く方にとっては、多かれ少なかれ学校は鬱陶しいものだった。
行きたい日もあれば、行きたくない日もある。
反抗的な時期もあれば、思春期のややこしい思いもあったが、だいたいは友だちと話したり、本を読んだり、みんなそれなりに対処していたんだろう。
そんなものだったと思う。

それが1980年代〜90年代に「登校拒否」とか「不登校」という言葉に変わっていく。
「校内暴力」という言葉もできた。
高度成長が終わり、核家族化が進み、親の世代も戦後の教育を受けた人が増えて社会の考え方が変わってきたんだろう。
それに伴って学校の役割が、集団生活や組織で生きていく人間を育てる、という教育から「自由」や「個性」を重視する教育に変わってきたように思える。
「個性重視」という方針が初めて初等教育に出てきたのが1974年の中教審答申だ。

その後80年代くらいから学校が荒れたり、校則が問題になったりしている。
その間の一番の変化は「先生はエライ人」という意識がなくなったのと、「学校に行かなくてもいい」という選択肢が社会にできたことだろうと勝手に思っている。

そして最近はいじめが取り沙汰されている。

ぼくの小学校時代は「先生はエライ人」だった。
先生の言うことは聞くものだったし、たまに先生が怒るとみんなシーンとなった。
授業中に歩き回るとか、静かにしろと言っても話が止まらないとか、そんなことはあり得ない。
未だにそういうことが実際に起こるというのが、信じられない。

90年代あたりに教育関係のテレビを見ていたら、「先生は生徒の友達」という感じだった。
話し方も、友達目線の話し方をしていた。
そのあたりで大きな変化があったのかもしれない。
ぼくらの学生時代にはそんな先生はいなかった。
そういえば、教壇をなくして、物理的にも同じ目線にしたのはあの頃からだろうか。

横浜で福島から避難してきた生徒がいじめにあったという記事を読んだが、いったい学校や教育委員会は何をしていたんだろうと思う。
原発事故の直後ならともかく、ここ2,3年で原発事故由来の病気などない、ということははっきりしていると思う。
一部のマスコミはまだ風評被害をもたらすような記事を書いているが、もういい加減にしてほしい。
政策的に原子力をどうするかという問題を話し合うのは大事だと思うが、今ある原発をわけもなく恐れるのは宗教だ。

生徒は本当に気の毒だ。

マスコミの責任は大きい。
もうぼちぼち放射能に対して冷静になるべきだと思う。

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