考えたこと2

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捨てられないもの3
友人がずっと置いてあったレコードを処分したという。
ダンボール箱何箱かあったものを、業者に買い取ってもらったということだ。
プレーヤーもないのに、残していたとのことで、思い切って断捨離したと言っていた。
何百枚かあったらしい。

それでも、一箱は残っているという。
ジャケットが気に入っているとか、思い入れがあって、これは捨てられないというものらしい。
聞く手段がなくても取っておきたいなど、レコード世代でない人にはわからないかもしれない。
これが主観的価値というやつだ。

うちにもレコードは何百枚かある。
一応プレーヤーはあるので聞ける状態だが、もっぱら聞くのはパソコンのデーターだ。
レコードを取りに行って、プレーヤーにのせる手間を考えるとおっくうになる。
それならプレーヤーごとレコードを捨てればいいのだが、なかなか思いきれない。
初めて買ったシングル盤やフィフス・ディメンション、キャロル・キングなど、捨てにくい。

本も同じだ。
10代、20代で読んだ文庫本がある。
きっともう二度と読まないだろうと思う。
特に石川達三や太宰治など、今となっては置いてあるだけだ。

ウチの実家にもまだ亡くなった父の本がある。
同じことだ。

年をとるとどんどん捨てられないものが増えてくる。
ダメだなあと思う。
なんで捨てられないんだろうか。

父は、本が捨てられないのは、これらの本の中に自分の頭の中があるような気がするからだと言っていた。
その気持はわかるが、それは本当に気持ちの問題であって、実際にはそれらがなくなっても自分は変わらないだろう。
だいいち、年を取ってほとんど忘れているのだ。
読んだり聞いたりした、という事実だけなら、目録を作っておけばいいのだ。

今度こそ、そうするぞ、と思って何度かここにも書いた。

でも、まだ捨てられないような気がする。

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