考えたこと2

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老いの道 河合隼雄 読売新聞社
心理学者の河合隼雄が1991年の1月から6月まで、読売新聞の夕刊に連載したコラム集。

今から25年ほど前であるが、この頃からもう「老い」が話題になっていたということだ。
今ほど切実ではなくて、まだまだ余裕があった頃だと思う。

最初のコラムが、「話が違う」という題。
現代の老人問題を町内の運動会の500m走に例える。
500m必死で走って、やっとゴールインというところで、役員が出てきて「すみません800m競争のまちがいでした。もう300m走って下さい」というような状態が老いの問題だという。

「人生50年と教えられ、そろそろお迎えでも来るかと思っていたのに、あと30年あるというのだ。そんなことは考えてもみなかったことだ。昔も長寿の人が居たが、それは特別でそれなりの生き方もあった。ところが今は全体的に一挙に人生競争のゴールが、ぐっと遠のいてしまった。」

面白い例えだ。
1991年当時の老いの問題というのは、こういうものだった
今はニュアンスが変わったと思う。
みんな800m走らないといけない、と言われている。
でも、走るために必要な水や靴などは足りないぞ、という状態だろう。

「心はどこに」という項では、死が近づいてきた患者は、部屋に入ってきた人の心がどこにあるか、わかるようになる、ということを書く。
これは講演でも言っていた。
看護婦さんが検温の結果や様子を気にかけてくれるのだが、心が部屋の外に居るままの人がいる。
それに対して、ある看護婦さんは、その人が部屋にはいってくると、「本当に傍らに居てくれている」と感じるらしい。
外見は何も変わったところはないのだが、その人の心がどこにあるか、「こうして寝てばかり居る者には、本当によくわかるのです」ということだ。
死が近くなると、真実が見えるようになるらしい。

こんな話が110話出ている。

河合隼雄は1928年生まれ。
だから、この本を書いた時は63歳だった。
これを書いた1991年の15年後、2006年に脳梗塞を起こして、ほぼ1年後に79歳で亡くなった。

最後は文化庁長官という公職について、高松塚古墳の壁画の劣化問題でストレスがたまって、脳梗塞を起こしたんだと思う。

日本の文化について、これから遠慮なく語ろうというところで亡くなってしまった。

文化庁長官というような役職につかなければ、きっと、もっと長生きしていたのに、と悔やまれる。



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