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2015.07.04 Saturday
老いの道 河合隼雄 読売新聞社
心理学者の河合隼雄が1991年の1月から6月まで、読売新聞の夕刊に連載したコラム集。
今から25年ほど前であるが、この頃からもう「老い」が話題になっていたということだ。 今ほど切実ではなくて、まだまだ余裕があった頃だと思う。 最初のコラムが、「話が違う」という題。 現代の老人問題を町内の運動会の500m走に例える。 500m必死で走って、やっとゴールインというところで、役員が出てきて「すみません800m競争のまちがいでした。もう300m走って下さい」というような状態が老いの問題だという。 「人生50年と教えられ、そろそろお迎えでも来るかと思っていたのに、あと30年あるというのだ。そんなことは考えてもみなかったことだ。昔も長寿の人が居たが、それは特別でそれなりの生き方もあった。ところが今は全体的に一挙に人生競争のゴールが、ぐっと遠のいてしまった。」 面白い例えだ。 1991年当時の老いの問題というのは、こういうものだった 今はニュアンスが変わったと思う。 みんな800m走らないといけない、と言われている。 でも、走るために必要な水や靴などは足りないぞ、という状態だろう。 「心はどこに」という項では、死が近づいてきた患者は、部屋に入ってきた人の心がどこにあるか、わかるようになる、ということを書く。 これは講演でも言っていた。 看護婦さんが検温の結果や様子を気にかけてくれるのだが、心が部屋の外に居るままの人がいる。 それに対して、ある看護婦さんは、その人が部屋にはいってくると、「本当に傍らに居てくれている」と感じるらしい。 外見は何も変わったところはないのだが、その人の心がどこにあるか、「こうして寝てばかり居る者には、本当によくわかるのです」ということだ。 死が近くなると、真実が見えるようになるらしい。 こんな話が110話出ている。 河合隼雄は1928年生まれ。 だから、この本を書いた時は63歳だった。 これを書いた1991年の15年後、2006年に脳梗塞を起こして、ほぼ1年後に79歳で亡くなった。 最後は文化庁長官という公職について、高松塚古墳の壁画の劣化問題でストレスがたまって、脳梗塞を起こしたんだと思う。 日本の文化について、これから遠慮なく語ろうというところで亡くなってしまった。 文化庁長官というような役職につかなければ、きっと、もっと長生きしていたのに、と悔やまれる。 |
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