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2014.12.16 Tuesday
おかしな文科省
文科省が小中学校の学習指導要綱を中教審に諮問するらしい。
新聞に書いてあった諮問の要点は、 ・自ら課題を見つけて解決を図る、アクティブラーニングというような指導法を検討 ・知識量の多寡によらない成績評価法の検討 要は、「従来の「知識偏重」型教育から脱却し、思考力や判断力、主体性を重視する方向に教育内容を変える。」らしい。 日本という国は最近は外から圧力がかからないと、うまくいかないことが多い。 役所のなかでも、文科省というところは外圧がかからないところだ。 山本七平の対談集にそう書いてあった。 たしかに、教育には関税がかかるわけでもなく、外国からどんどん参入してくるということもなく、どの国も文科省に相当するところはあまり外圧がない。 ただ、日本は戦前から戦後にかけて、それほど失敗はしなかったのではないか。 その当時、日本は早く西洋にキャッチアップしないと、植民地化されてしまう、という恐怖感が外圧になっていたのだと思う。 ゆとり教育あたりから、調子が悪くなったのではないか。 まあ、今でも比較すると日本の教育水準は悪くはないが…。 今回の諮問では小中学校の勉強のやり方を変えるという。 小中学校というと、勉強の基礎の時期だ。 その時期に、知識量の多寡によらない成績評価をするという。 何かオカシイ。 最低限覚えないといけないことを覚えないと、高校以降になっても論理的に考えることができないと思う。 知識を増やさないと、論理的に考えられないし、その知識を増やすのは小中学校の年齢だ。 記憶力が強い間に覚えるべきだろう。 知識量がないと、自ら課題を見つけて解決を図ることなどできない。 知識の量が問題意識を育てるのだと思う。 第一、そんな指導ができる先生がいるのだろうか。 小学校、中学校の指導など、簡単にできると思っているのではないか。 ある意味では、教えるというのは年齢が低いほど難しいと思う。 教える内容が簡単だから、大丈夫だろうなどと思ってはいけない。 教育の方針を変えるのなら、先生を変えないといけない。 少なくとも、現在の教員養成課程が現在の先生を育成するものだとすると、それを変えないといけない。 そんな当たり前の事がわからないのだろうか。 今の教員養成課程ではダメだと思う。 そこを触らないで、何をやっても苦しいと思うのだが…。 教育を変えるためには先生を変える必要がある。 小中学校がダメなら、それ以降でいくら頑張っても取り返すことは難しい。 それが教育学者が重視する発達というものだ。 だからこそ、小中学校にもっと力を入れないといけない。 やるべきなのは、教員養成課程と採用試験のやり方を変えることだ。 文科省は高等教育に金をかけている場合ではないのだと思う。 |
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