考えたこと2

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おかしな文科省
文科省が小中学校の学習指導要綱を中教審に諮問するらしい。

新聞に書いてあった諮問の要点は、

・自ら課題を見つけて解決を図る、アクティブラーニングというような指導法を検討
・知識量の多寡によらない成績評価法の検討

要は、「従来の「知識偏重」型教育から脱却し、思考力や判断力、主体性を重視する方向に教育内容を変える。」らしい。

日本という国は最近は外から圧力がかからないと、うまくいかないことが多い。
役所のなかでも、文科省というところは外圧がかからないところだ。
山本七平の対談集にそう書いてあった。

たしかに、教育には関税がかかるわけでもなく、外国からどんどん参入してくるということもなく、どの国も文科省に相当するところはあまり外圧がない。
ただ、日本は戦前から戦後にかけて、それほど失敗はしなかったのではないか。
その当時、日本は早く西洋にキャッチアップしないと、植民地化されてしまう、という恐怖感が外圧になっていたのだと思う。
ゆとり教育あたりから、調子が悪くなったのではないか。
まあ、今でも比較すると日本の教育水準は悪くはないが…。

今回の諮問では小中学校の勉強のやり方を変えるという。
小中学校というと、勉強の基礎の時期だ。
その時期に、知識量の多寡によらない成績評価をするという。
何かオカシイ。
最低限覚えないといけないことを覚えないと、高校以降になっても論理的に考えることができないと思う。
知識を増やさないと、論理的に考えられないし、その知識を増やすのは小中学校の年齢だ。
記憶力が強い間に覚えるべきだろう。

知識量がないと、自ら課題を見つけて解決を図ることなどできない。
知識の量が問題意識を育てるのだと思う。

第一、そんな指導ができる先生がいるのだろうか。
小学校、中学校の指導など、簡単にできると思っているのではないか。
ある意味では、教えるというのは年齢が低いほど難しいと思う。
教える内容が簡単だから、大丈夫だろうなどと思ってはいけない。

教育の方針を変えるのなら、先生を変えないといけない。
少なくとも、現在の教員養成課程が現在の先生を育成するものだとすると、それを変えないといけない。
そんな当たり前の事がわからないのだろうか。

今の教員養成課程ではダメだと思う。
そこを触らないで、何をやっても苦しいと思うのだが…。
教育を変えるためには先生を変える必要がある。

小中学校がダメなら、それ以降でいくら頑張っても取り返すことは難しい。
それが教育学者が重視する発達というものだ。

だからこそ、小中学校にもっと力を入れないといけない。
やるべきなのは、教員養成課程と採用試験のやり方を変えることだ。

文科省は高等教育に金をかけている場合ではないのだと思う。

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