考えたこと2

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シンガーソングライター
ぼくが高校のころ、シンガーソングライターという言葉ができた。

それは長い目で見た時に、音楽ビジネスのカタチを変えるものだったと思う。
既存の音楽の作られ方は、作曲家の先生がいて、作詞家の先生がいて、そして歌手がいる、というビジネスだった。
歌手はレコード会社に属していて、プロデューサーに認められたら初めて作曲家、作詞家の先生から曲をもらって、それをレコーディングして、やっとデビューという段取りだった。
ジャンルは主に演歌と歌謡曲があって、そのどちらかだった。
歌謡曲にはグループサウンズの残党が含まれたから、ちょっと新しい雰囲気の曲もあったかな。
いずれにせよ、歌手になるというのはそれらのハードルを越えていかないといけないことだったし、努力と運がものすごく必要なことだった。

でも、シンガーソングライターが出てきて、そのハードルが下がった。
もちろん、運は必要だが、実力があれば歌を作って少なくともどこかで歌えばいいのだと思えた。

シンガーソングライターは、もともとアメリカのジェイムス・テイラーやキャロル・キングからできてきた言葉だろうと思う。
日本でも、すでにフォークの人たちがやっていたが、メジャーにはならなかった。
岡林信康とか、高石ともや、遠藤賢司、高田渡、加川良…。
そこに吉田拓郎が出てきて、ようやくメジャーになった。

まだまだレコード会社の力は強かったが、この人たちは自分で歌を作って、自分で歌うというスタイルだった。
だいたい、1970年代の初めあたりからだ。
この時代から、音楽は、自分がやりたい曲をやって、世の中に問う、というカタチになったのだと思う。
商業ベースではなく、作り手のものになった、という感じだった。

もちろん、商業ベースでやるジャンルもあったが、新たに作り手が主張をはじめたということだ。
当時、そんな音楽ビジネスの仕組みは全くわからなかったが、でもシンガーソングライターという言葉はぼくらに夢を与えてくれた。

ぼくは中学2年の時からギターを弾き始めて、高校時代ジェイムス・テイラーに憧れていた。
今の彼は頭の禿げた、いいおじいちゃんになっているが、当時は思いつめた目をした、悩める青年という感じだったなあ。
そんな風に、若者が自分たちの言葉で、自分たちの歌いたい唄を作って歌う、という文化が70年代の初めに確立したのだと思う。

吉田拓郎に続いて、続々と若いシンガーソングライターたちが出てきた。
そのうち、それらはニューミュージックと呼ばれて、若者の音楽の当たり前のカタチになっていった。
オフコースやチューリップ、荒井由実、山下達郎などが70年代の後半に出てきた。
懐かしい。
今でもシンガーソングライターという言葉を聞くと、あの時代を思い出す。

ぼくもあこがれた一人。

今では音楽をビジネスにすることの敷居はもっと下がった。
誰もがコンピューターで音楽を作り、ちょっとした知識さえあれば、YouTubeにアップして発表できる時代。
音楽は、一部のプロのものではなく、みんなのものになった。

きっとそれはいいことなんだろう。
でも、昔のように、誰もが口ずさめる曲がなくなったのは、ちょっと寂しい。

シンガーソングライターが台頭して40年。
もう世代を超えて、みんなで歌うような曲は出てこないかもしれないなあ。


| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
STAP騒動
理研でやっていた再現実験もようやく終わり、一連のSTAP細胞をめぐる騒動はほぼ終了したと思う。
結局、STAP細胞はなかったということだ。

どうしてこんな問題が起こったのか。
ぼくは10年間、大学で研究者という人種を見てきたが、その特性に原因の一端があるのではないかと思う。

ぼくが見た研究者という人種は、とにかく権威主義的かつ個人主義的だった。
採用の時には履歴書と研究業績をチェックするのだが、どこそこの大学で、どういう研究科(大学院のこと)を出て、カクカクシカジカの研究をしてこられたということであれば、それは書いてあるとおりに認める。
その人の研究というものに、興味を持つのが普通だと思うのだが、そんなことは思わない(ように見える)。
全員が全員、というわけではないが、どんな人であっても、研究者は一人前の研究者として認める傾向があった。
少々オカシイことがあっても、他人の研究には口を出さない。
とにかく、個人主義だった。

だから、大学院を出て、ハーバードで修行してきたというような人なら、文句なく、どんな変なことを言っても、そのままにしておくだろうと思う。

これはひとえに、他の研究者にいちゃもんをつけると、自分がしっぺ返しに会うのがイヤだ、ということから来ていると思う。
それが、組織で働いたことがない、研究者という人種なのだとぼくは理解した。

今回の理研の不始末は、一般企業の研究所などではまず起こらない。
間違っても、外部への発表する前に止まっているだろうと思う。
それがマトモな組織というものだ。

研究者というのは縛られるのを嫌う。
それは誰でも同じだが、金をもらってやっているのだから、文句をつけたり、内容を確認することは、普通の組織では当然のことでも、「親方日の丸」の理研というようなところでは当然ではなかったのだろう。

理研に必要なのは、組織の管理である。
それは研究者の仕事ではない。
研究者の仕事を評価し、監視し、外部に発表するかどうかという判断をするという、研究管理の仕事である。
そういうプロを入れないと、何度でも同じ問題は起こる。

研究者の持っている不要な権威主義を潰し、マトモな組織にするためには、エラくない普通の人が必要なのだろう。
そういう普通の人に対して、研究の内容を説明し、説得できないような研究者は去ればいいのだと思う。
そういう人はたいがい一流ではない。
要は、研究者による、研究者のための組織は日本では成り立たないと思ったほうがいい。

そうしないと第二、第三の理研や小保方さんが出てくるぞ。

だいぶ偏った見方だと思うが、ぼくはそう思う。


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