考えたこと2

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入試制度改革
中教審が新しい入試制度の提案を答申した。

ニュースによると、「現行の入試が知識偏重に陥っていると指摘。受験生の能力を多面的に評価する手法に抜本改革し、大学の個別試験も面接や小論文などによる選抜に変えることを求めた。」とある。

ぼくは大学で大学生を見てきたが、とても「知識偏重」とは思わない。

県の名前や河川、山脈の名前などの知識は、大幅に少ない。
世界地理などは、アラビアの国がアフリカにあったりする。
アメリカ人の英語の先生から、授業で世界地理の話題を出した時の学生の不正解率に驚き、「日本は大丈夫か?」といわれたこともある。
四文字熟語や漢字は携帯で調べるので、間違う学生も多い。
日本の政治のシステムが分かっていない学生もいた。
大学に入っても、小中学校で習う割合や確率の知識が全くない人もいる。
「分数ができない大学生」というのが話題になったことがあったが、そんなのはもう当たり前になった。

これらの事実を文科省はどう考えているのだろう。
知識が偏重しているというよりも、知識の量が少ない。
小学校では、考えることを大事にすると称して、くり返しの学習をあまりさせないと聞いた。
だいたい、小学校で習うことは初めてのことばかりだ。
そういうのは、くり返しやってみて、できるようになって、ある日「あ、そういうことか」とわかるものも多いと思う。
今のやり方では覚えた事が身につかないのだ。

人は自分が受けてきた教育しかわからないし、それを基準に教育を語りがちだとは思う。
でも、今の状態を「知識偏重」というのは、明らかに大学生の現場を知らない。
大学のエライ先生方もなぜ文句を言わないのだろうか。
教育学者と言われる人たちは、それを理解していないのだろうか。

また、「1点に泣く」のは問題だというが、入試で取る人数に限界がある限り、それは必然だろう。
ボーダーライン上の人はどうしたって1点に泣く。
それは選別する限り避けては通れない。
いくらボーダーラインを下げても、常に1点に泣く人は出てくるのだ。

それに、一般入試というのは全体の半分以下ではないか。
それ以外の人はもう既にAOや推薦で入っているのだから、1点など関係ないし、既に多様な入試になっている。

いくら内申書を重視したって、面接をしたって、論文を審査したって、その成績をどうやって評価するのか。
ABCで評価するにしても、同じBのものを全員とったら人数オーバーになる時、どうやってそこから人数を絞るのか。
点数化するしかないだろう。
それを話し合いで決める、というのなら、点数で決めるよりも恣意的になる。

「1点に泣く」ことの功罪はどうしたって避けられない。

これだけは、マチガイないと思う。


| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラックユーモア
アメリカのソニー・ピクチャーズ・エンタテイメントがハッカーの攻撃を受けたニュース。
エライコッチャなあと思う。
理由は「インタビュー」という映画にある。

この映画、北朝鮮のリーダーを暗殺するよう指令されたCIAの2人組の活躍?を描くコメディ。
かなりブラックなコメディ映画に仕上がっているようだ。
昨日の時点で、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメントは上映の中止を決めたとのこと。

どういう意図で北朝鮮のコメディを作ったかは問題ではない、というのが自由の国アメリカでの主張だろう。
実際、オバマ大統領もソニー・ピクチャーズ・エンタテイメントのサイバーテロ被害に同情を示しながらも、その措置は間違いだった、と言っている。
こうなったら、映画の質は問題ではない。
アメリカの企業が、北朝鮮のハッカーに屈したという事実が問題なのだ。
表現の自由を侵されたということだ。

一方で、アメリカの映画関係者で「インタビュー」という映画を見て、観客の質が落ち、映画の質も落ちてしまった、という批評家もいる。
実際の内容としては、けっこうレベルが低い、ということかな。

今となっては問題にはならないだろうが…。

日本なら、どうなっていただろうか。
そもそも、北朝鮮のリーダーをからかったコメディを作る、という発想自体がなかったような気がする。
そんなことをしたら、世間からヒンシュクを買うだろう、という経営判断はある。
そんな文化がないということだ。
ドキュメンタリーなら作るだろうが、ブラックユーモアで北朝鮮を描くというのは、選択肢にないと思う。

70年代、モンティ・パイソンというイギリスの番組があった。
これもすごく際どい、シュールなブラックユーモアを扱っていたと思う。
ブラックユーモアはイギリス発祥のものだと思う。
全ての権威を笑い飛ばす、風刺よりももっと強いものがブラックユーモア。
イギリスの皇室もネタにされていたと思う。 
日本ならおそらくバッシングものだったろう。

70年代にテレビで見たが、その後ブラックユーモアというものは日本に根づいたという感じはない。
ちょっと、わからんなあ、というリアクションが日本人の平均だと思う。
だから、「インタビュー」みたいな番組を作ろうという発想はない。
作ったら、悪ふざけもいい加減にしなさい、というようなことになって、放送中止になっていただろう。

今の子どもたちを見ていると、中国や韓国を嫌っている人が多い。(子どもだけではないが…)
こういう時こそ、ブラックユーモアを解する人を育てないといけないと思う。
正面から批判するだけではなくて、いろんな方向から風刺するということも必要だ。
風刺という、ちょっと心に余裕をもった、遊びの心も必要ということだろう。
この「心の余裕」というのが、批判する側にも、批判される側にも必要になる。
そうでないと、今の韓国や中国との関係のように、すぐに怒りになってしまう。

しかし、これは両刃の剣でもある。
それを風刺と思わない人たちにとっては、悪意としかとられない。

でも、日本がアメリカの影響を受けてここまで来てしまったら、このまま西洋のオトナの国になる方がいいと思う。

それが日本に与えられた、浮世を過ごす方策だと思うのだが…。 


| | 考えたこと | 09:22 | comments(0) | trackbacks(0) |