考えたこと2

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東京オリンピック
東京でオリンピックをやることが決まった。

この前が1964年。
開会式に合わせて新幹線も作ったし、名神高速も開通した。
1945年に終戦で、19年かけてオリンピックを招致した。
このときは日本中が歓喜したと思う。

三波春夫が東京五輪音頭を歌い、「オリンピックの顔と顔…」という歌詞は今でも覚えている。
マラソンの円谷、重量挙げの三宅、体操の山下など、覚えている選手もいる。
バレーボールは女子も男子も強かった。女子は東洋の魔女と言われ、金メダルだった。
海外の選手では、マラソンを裸足で走ったアベベ、ヒートリー、女子体操のチャスラフスカ、柔道のヘーシンクなどの名前が浮かぶ。

開会式の日は学校が休みになって、家でテレビを見た。
神戸にいても、興奮が伝わってきた。
赤いブレザーでたくさんの日本選手団が入場した時は、ひときわの拍手だったなあ。

昭和になって39年。
奇しくも次の年の昭和40年代から高度成長が始まり、日本は豊かになった。
この東京オリンピックが転換点だったかもしれない。
日本という国が自信を持って、国際社会の仲間入りを果たしたのだ。

ちょうどこのときに、ぼくは小学校の2年生。
まだまだ貧しかった。
そこここの道は舗装されておらず、写真は白黒、母に手編みのセーターを作ってもらって、大きくなったらほどいて作り直していた。
スーパーにぞうきんなど並んでおらず、学期はじめには母がぞうきんを縫って作った。
給食代を払わない親などおらず、小学校は45人クラスでちゃんと授業が出来ていた。
もちろん、授業中に立って走り回るような子どもなどいない。
今から思えば、あの頃の日本には夢があった。
明日は今日より豊かになる、という確信があった。

公害、交通事故、安全保障、汚職…。
いろんな不具合はあった。
それでも、全体としては豊かになっていく、という気分だった。

小学校6年の時、先生が「アメリカ人はソニーというのはアメリカの会社だと思っているらしいぞ」と言った言葉がわけもなく誇らしかった。

あれはそういう時代だったのだろう。

1964年。
これからベトナム戦争が始まり、冷戦がひどくなっていく時代。

いい時代だった。

あと7年生きたら、もう一度見ることができる。
そんなラッキーな世代に生まれた事に感謝。

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