考えたこと2

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昨日の続き。

桜という花は、無常を思う気持ちに触れるから、日本人に人気があるのだろう。
ぱっと咲いて、ぱっと散る。
世の中の無常を表している。

これほど派手な花も珍しい。
約1週間で嘘のようになくなってしまう。
ちょうど、「奢れるものも久しからず」という平家物語のセリフにぴったりだ。

しかし、日本古来の桜は、山桜らしい。
小林秀雄が言っていた。
このソメイヨシノになったのは、植木屋と文部省が結託して学校に植えたから…。
この桜は手入れが楽なのだそうだ。

山桜はもう少し上品なものらしい。

ぼくらは戦後生まれなので、ソメイヨシノを桜だと思っている。

ワシントンのポトマック川の川岸にも、桜が植えてある。
4月になって一斉に咲いても、アメリカ人は冷静に見ているらしい。
もちろん、きれいだと思うんだろうが、「ああ、桜が咲いた」という、どこから来るのかわからない感動はないようだ。

ぼくらは人類のみんなが、桜が咲けば「ああ、桜が咲いた」という感動をセットされているものだ、と思っている。
それがないなどとは、信じられない。

狂気とすら言えるような美しさを、日本人は感じる。

事実、あの桜の下で、飲めや歌えの大騒ぎをして、ほたえるのが年中行事になっている。
新入社員が昼から場所取りに行くのは、業務になっている会社も多いだろう。

あれも、桜の下だから、許されるのだろう。
すべての無礼は、桜の花によって免罪される。

入学式を春にするのも、桜の時期だからではないか。
日本では入学式を秋にできないのは、桜が咲かないからだ、という説明で十分だ。
いい学生が取りたいとか、国際的でないとか、批判はあるが卒業・入学のシーズンには桜が咲かないといけない、と日本人は思っているのではないか。
桜のようにはかない人生…、その無常な人生の節目なのだ、という戒めかもしれない。

無常観があるからこそ、来年も桜が見られるだろうか…、という思いが浮かぶ。

あと何回桜を見られるのか…。

今まで数限りない日本人が、桜について書いているだろう。
一度それらを調べて、まとめてみると面白いと思う。



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