考えたこと2

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世界に一つだけの花
この歌は大嫌いだ。

あまりにも短絡的でお気楽な歌詞だ。
悪気はないのだろうが、この歌を聞くと個性というのはそのままでよい、というイメージがある。
どうもおかしい。

生まれながらに個性があるのは当然だ。
しかし、それを個性としてみんな野放しにして育っていったら社会は成り立たない。
社会に適応するために、しつけがあるし、学校がある。
人間は本能のままでは滅んでしまうので、代理本能として、社会や文化を作った。
だから、民族によって異なるが、基本的には「型にはめる」ことが家庭や学校の役割だ。
そんなことは当たり前のはずだった。

ところが、それが当たり前だと思わない人たちが出てきた。
きっと戦後民主主義教育を取り違えたのだろう。

幼稚園で好きなようにして育てた子供が、小学校に入って授業中に走りまわる。
当たり前だろう。そう教えられたのだから。
自分の欲求に正直に生きることなど、集団生活でできるわけがない。
まして、それが個性などという馬鹿なことがあるはずがない。

 そうさ僕らも 世界に一つだけの花
 一人ひとり違う種を持つ その花を咲かせることだけに
 一生懸命になればいい

大間違いだと思う。

養老孟司が言っていた。
何年もかけて、型にはめて、それでも型からはみ出るのが個性だ、と。
型にはめるのが教育だろう。
必死に教育しても、どうしても残る部分が個性なのだ。

たかが歌だというなかれ。

こんな歌が流行るのは世も末だと思う。
もうだいぶ前だが…。



| | 考えたこと | 21:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
今年の秋
今年の秋 正宗白鳥 中公文庫

正宗白鳥という人は、作家というより文士という存在。

小林秀雄が、正宗さんの晩年の雑文というものは、本当に素晴らしい、と言っていた。
「あの人は、書いたものを読み直しなどしないんだ、どうして書きっぱなしであんな文章が書けるかね。」
これだけ手放しで褒めるのも珍しい。

どうしても読みたくなって、アマゾンの中古を探した。

23編の随筆集。

どの随筆がどうということではない。
時代は昭和のはじめから三十年代。
戦争末期、正宗白鳥はペンクラブ会長だったが、その時に何もしなかったことが、ペンクラブの歴史を綺麗にしたということが書いてあった。

この人は書くことが自然だ。
何も考えずに書き始めているのではないか、と思わせる。

読んでみないとわからない。

最後に「文学生活の六十年」という講演録がある。
その中に、こういうことが書いてある。

「そうかといって、ドストエフスキーにしても、トルストイとしても、名作にかかわらず、しかし私の求めているものは、そこには出ていない。作りごとではなくて、もう一歩進んだ世界をなにがいったい自分に見せてくれるか。自分はここに偶然生まれた。生まれたくなくても、仕方がない生まれてきたんだから、ほんとうの人生というのはこれだというものを探がさねばならない。それでたくさんの人間を見、小説を読んだわけなんだが、一つの自分だけの人生がそこにできたかというと、それがいつも物足りない、物足りないと思うことは馬鹿なことで、人間はみなわからないことばかりだ。明日の日もわからないで生きているんで、小説などもそのときだけの慰めに読むものにすぎない、それでいいじゃないかと思いながら、いいじゃないかと思えないところが八十年を通してあって、今日に至ったんです。」

正宗白鳥らしい言葉。

この人には、文学に求めるものがあった。
でも、最後まで見つからなかった。

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