考えたこと2

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市民
市民というと、ナントカ市に住んでいる人、というふうに思う。
それはそれで正しいのだが、本来の「市民」という概念はそうではない。

「市民」は民主主義の概念である。
wikipediaでひくと、

「市民(しみん)は、政治的共同体の構成員で、主権(主に参政権)を持つ者。あるいは、構成員全員が主権者であることが前提となっている議論では、構成員を主権者として見たもの(現代社会について述べるときはこの意味合いのことが多い)。ここでいう政治的共同体とは、語源的には都市を指しているが(citizenとcityは同語源である)、現代では国家についていうことが多い。」

と書いてある。

要は国家の主権者が「市民」である。

民主主義国家における教育の目的の一つは、この「市民」を育てる、ということにあると思う。

まともな市民を育てないと、衆愚政治になるからだ。
実際、「古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになった。」と書いてある。

主権者が愚かであっては、民主主義は機能しない。
民主主義というものを成立させるためには、「市民」が必要だ。

そのことを忘れてはいけない。

そういう意味で、今の教育を見直すべきだと思う。
教育だけではない。
メディアも見直すべきだ。

マトモな市民とはどういうものか。
正しいか、間違っているかが、ちゃんと判断できることだろう。
それくらい出来る、という人がいるだろうが、ではその判断は何に基づいているのか、それは信頼できるのか、そして自分の頭で考えたのか、と聞かれるとどうだろうか。

そういうことができる人ばかりなら、選挙のたびに投票率が半分もいかない、というようなことがなぜ起こるのだろうか。
ほとんどの選挙で投票率は40%程度ではないか。
これは、マトモな状態ではない。
つまり、「市民」が育っていないということだ。
それは、教育がうまく機能していないからだ。
メディアがちゃんと機能していないからだ。
くだらないバラエティばかりやっているからだ。

マトモな市民を育てないと、衆愚政治になるぞ。

もうなっているか…。



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