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2011.11.18 Friday
洋裁
明治時代の生活というのは、わかっているようでわかっていない。
江戸時代と現在は明らかに違っているとわかっているが、その間はどうなっているか、漠然としている。 朝のドラマを見ていると、昭和の初期でもほとんどの人がまだ着物の生活をしている。 ネットで調べてみると、「大正から昭和の初期はまだまだ着物が主流」と書いてあるものもある。 ということは、昭和の初期は、庶民はまだ着物が主流だったのか。 洋裁というのは、その頃からだんだんと普及したものらしい。 実家の母はドレスメーカー学院?に通っていた。 昭和の初期、まだ洋裁を教える学校があったのだ。 調べてみると、ドレスメーカーとかドレメとかいう学校はたくさんある。 東京にも東北にもあった。 母の場合は、神戸ドレスメーカー女学院というもの。 今の神戸ファッション専門学校、神戸ファッション造形大学らしい。 神戸というハイカラな土地柄と、洋裁という技術、ドレスメーカーというカタカナの名前がよくマッチしたのだろう。 洋服の作り方は、型紙を作り、裁断し、仮縫いをして、修正、本縫という過程を経る。 一時は母が家で洋裁を教えていたので、そんな言葉も耳に馴染みがある。 しかし、今ではよほどのことがない限り、洋裁などしない。 既製服で事足りるからだ。 生地を買って、裁断して‥、というような面倒なことはしなくなった。 小さい頃、家には足踏み式のミシンがあった。 いろんなパーツがあって、ややこしかったのを覚えている。 ペダルを踏むと、生地が送られ、針が上下して縫う。 誰が考えたか、すごい仕組みだった。 英語を習い始めて、ミシンとはMachineのことだと知った。 本当はSewing machineという。 今では電動の小さなミシンでも、かなり複雑なことができるようだ。 ぼくらが高校くらいまでは、洋裁店というのがあって、生地やボタンなどを売っていた。 今はそういう店も少なくなった。 今では洋裁はほんの一部の人の技術になった。 そのうち、生地を買ってきて、洋服を作る、ということ自体が忘れられるのだろう。 服は買うものであって、作るものではないということだ。 少し残念な気がするが、しかたない。 |
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