考えたこと2

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老眼 その2
老眼がだんだんひどくなってきた。

昨日書いた山本七平の講演で聞いたことだが、江戸時代は45歳くらいで隠居したとのこと。
15歳が成人式だから、だいたい30年間が働ける時間。

当時は45歳になると、メガネがないから文字が読めなくなったのと、歯が抜けて公式の場所で食事ができなくなったという2つの理由が大きいらしい。

なるほど。

今は当たり前のように老眼鏡を使っているが、こういうものがなければ確かに困る。
メガネが人間が働くことができる時間を伸ばしたとも言えるだろう。
歯の治療技術も同じことだ。
今の基準で考えがちだが、そこはその時代を想像できないといけない。

ぼくは目が悪くなかったから、老眼はシンドイ。
パソコンのディスプレイの文字はメガネはいらないし、普通に生活するにはメガネはまだ要らない。
運転も眼鏡なしでいける。

でも、常に老眼鏡を持っていないと、何かの時に困る。
今日は何日だったかな、というので時計を見るが日付の字が小さくて読めない。
これは情けない。
だからといって、日付の入っていない時計にする、というのは悔しい。

10年くらい前から、洋画を見に行くときはメガネがいる。
字幕を読むのがシンドイからだ。
これは遠くをよく見るためのメガネ。
時々これを忘れ、映画館に入ってから気がつくが手遅れになる。

当たり前にできていたことができなくなる、というのは「老い」を感じる瞬間だ。

定年して毎日が日曜日になれば、日付など気にする必要はなくなる。
厚労省は65歳までの定年延長を言っているが、今の年金制度がいつまでもつか‥。
若い人の足はひっぱりたくない。

平均寿命は男性が79.6歳だという。

この世に生まれて、生きて死ぬ。
人生80年。

この年になっても、まだ平均寿命の7割にいかないという事実。

そろそろぼくらはこの事実を見つめなおさないといけないのではないか。
長生きすることはよいことだ、という大きな錯覚。

今の若い人も「どう生きるか」が難しい世の中だが、年をとっても難しい。





| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
知足安分
山本七平が講演の中で言っていた。

江戸時代、信心深い人というのは、知足安分を基礎に生きている人だということだ。

知足安分は、ちそくあんぶんと読む。
足ることを知って、分に安んじる、という意味。分は分際の分である。

要は高望みをせず、自分の境遇に満足すること。

江戸時代の日本人で信心深い人は、前世、現世、後世の3つを生きるもので、だいたい、この3世を平均するとみんな同じになる、という考え方だったらしい。

現世で金持ちなのは、前世か後世で貧乏だし、現世でお金を取られた人は、きっと前世でお金を取った人で、本来ならこちらから返しに行かないといけないのに、親切にも向こうから取りに来てくれた、という考え方になる。

こういう考え方をしておれば、何に対しても文句が出るはずがない。
年貢をたくさん取ってくれ、という人もいたらしい。
これは、後世で楽ができるように、ということだ。
だから、日本人は非常に諦めがよい。

ちょうど敗戦の時の日本人がこういうふうだった、と山本七平は言う。

良い意味では何かにこだわらず、前向きに生きていけるし、悪い意味では過去のことを反省しない。

なるほど。
そういえば、そんな気がする。

何かがあっても、これは仕方ない、と思う時がある。
意識はしていないが、これは前世の因果か、あるいは後世で取り返せるのか、とにかく現世ではどうにもならない、という感じだ。

そういう強さが日本人にはある。
そういう弱さがある、と言ってもいいかもしれない。

足ることを知って、分に安んじる。

これはキリスト教にもないし、仏教にもない。

日本人は十分に宗教的だろう。



| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |