考えたこと2

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洋裁
明治時代の生活というのは、わかっているようでわかっていない。

江戸時代と現在は明らかに違っているとわかっているが、その間はどうなっているか、漠然としている。

朝のドラマを見ていると、昭和の初期でもほとんどの人がまだ着物の生活をしている。
ネットで調べてみると、「大正から昭和の初期はまだまだ着物が主流」と書いてあるものもある。

ということは、昭和の初期は、庶民はまだ着物が主流だったのか。

洋裁というのは、その頃からだんだんと普及したものらしい。

実家の母はドレスメーカー学院?に通っていた。
昭和の初期、まだ洋裁を教える学校があったのだ。
調べてみると、ドレスメーカーとかドレメとかいう学校はたくさんある。
東京にも東北にもあった。
母の場合は、神戸ドレスメーカー女学院というもの。
今の神戸ファッション専門学校、神戸ファッション造形大学らしい。

神戸というハイカラな土地柄と、洋裁という技術、ドレスメーカーというカタカナの名前がよくマッチしたのだろう。

洋服の作り方は、型紙を作り、裁断し、仮縫いをして、修正、本縫という過程を経る。

一時は母が家で洋裁を教えていたので、そんな言葉も耳に馴染みがある。

しかし、今ではよほどのことがない限り、洋裁などしない。

既製服で事足りるからだ。

生地を買って、裁断して‥、というような面倒なことはしなくなった。

小さい頃、家には足踏み式のミシンがあった。
いろんなパーツがあって、ややこしかったのを覚えている。

ペダルを踏むと、生地が送られ、針が上下して縫う。
誰が考えたか、すごい仕組みだった。

英語を習い始めて、ミシンとはMachineのことだと知った。
本当はSewing machineという。

今では電動の小さなミシンでも、かなり複雑なことができるようだ。

ぼくらが高校くらいまでは、洋裁店というのがあって、生地やボタンなどを売っていた。
今はそういう店も少なくなった。

今では洋裁はほんの一部の人の技術になった。

そのうち、生地を買ってきて、洋服を作る、ということ自体が忘れられるのだろう。
服は買うものであって、作るものではないということだ。

少し残念な気がするが、しかたない。


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