考えたこと2

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何のために会議をするのか
会議というのは、何をするためのものか?
話し合いをするためのものだろう。

では、何のために話し合いをするのか?
ある目的を達成するため、というのがほとんどの場合だろう。

そのためには何が必要か?
目的に関する共通の認識、これが建設的な話し合いのためには必須だ。
そして、問題意識。これは各人が各々の問題意識を持っているということだ。
さらに、何らかの意味でその会議体のメンバーが共同体であることが必要だろう。
運命共同体。同じ船に乗っているという意識。沈む時は一緒という意識。これが必要だ。

だから、営利企業の会議は最終的に何らかの結論が出る。
出さないと前に進めない。利益が出ないのだ。
前に進めないと、最悪の場合会社が潰れてしまう。

しかし、非営利の場合は違う。
会議をやる上で最も大事な共同体という意識がない。
誰もがいろんな方向を向いていてよい。
正反対でもよい。
目的のための共通の認識などなくてもよい。
そもそも、会議が開かれるのは、会議の日程が決まっているから、という場合もある。
問題意識もない場合が多い。
だから、何をやっているのかわからない。
そもそも、会議とは何かということがわかっていない。
単なる時間つぶしみたいなものだ。
自分が言いたいことをいう。
あるいは何にもいわない。

ナントカ委員会とかいうものなど、その最たるものだろう。
誰もその結果について責任がない。
そこに高いモラルがある場合だけ、よい会議ができる。

「高いモラル」それが必要だ。

それがないなら、責任者を決めて、会議などやめればよいと思う。
一人で決めてやったなら、責任が明確だ。
失敗したなら、その人が悪い。

しかし、もしもこれをナントカ委員会で会議をして決めたら、責任の所在がわからない。
責任の所在を曖昧にするために、やっている会議もあるだろう。
みんなで渡れば恐くないの精神だ。

だから、公務員や学校を含む非営利団体は、高いモラルが必要だ。

残念ながら、それがないところの方が多いのだが…。


| | 考えたこと | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
下宿
明日久しぶりに長男が帰ってくるという。
ウチの近くでバイトをしていて、そこに用事があるからだ。

下宿というのは、居心地がいい。
回りに友だちができて、その輪が広がると、家に帰ることなど忘れる。
ぼくも、学生時代に下宿をして、ほとんど帰らなかった。
四畳半一間で、トイレと洗濯機は共同使用、風呂なし、築かなりの年数でも、そこにいると自分だけの空間だ。

敷きっぱなしの布団。
小さな冷蔵庫、もらった机、炊飯器、電熱器、スチールの本棚…。
ぼくは自炊はほとんどしなかったが、それでもお金がなくなるとご飯を炊いた。
オカズは味付け海苔と海苔の佃煮とふりかけ。
少し裕福なら、焼き鳥の缶詰やシャケ缶がついた。

そんな生活でも、とにかく楽しかった。

毎日部室へ行って、先輩や後輩と飲みに行ったり、友だちの下宿でだべったりした。
寄席の前になると、誰もいない時間に部室に行って、一人で練習をした。
覚えるまで、ノートを目の前においてしゃべる。

N360に乗って、友だちと夜中に琵琶湖に行ったり、ラーメンを食べに行ったりした。
ぼろい車だったが、懐かしい。
3人でお金を出し合って5万円で友だちから買った。

3年ちょっとの間テレビはなかった。
それでも、全く退屈しなかった。
みんなテレビなど持ってなかった。

もう少し難しい本を読めばよかったとは思う。
柴田連三郎や筒井康隆の小説をよく読んだ。

3年の冬に最初のエレキギターを買った。
十字屋のバーゲンで1万いくらだったと思う。

服はほとんど買わず、靴もたいがい1足だけ。
同じ格好をしていたと思う。(洗濯はした)

書き始めるときりがない。

でも、学生時代の下宿というのは特別なものだ。

そこで得たものは大きいと思う。

それが何とは言えないが…。



| | 考えたこと | 01:14 | comments(2) | trackbacks(0) |