考えたこと2

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第六感
五感の次が第六感。

視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の次になる。

勘が鋭い、というときの「勘」が第六感。

何となく気になる…。

仕事で、何となくひっかかる時という時が何度もあった。
それこそ、イヤな予感がするというヤツだ。

そういうときは、よく当たる。

これはきっと、自分が記憶してはいないが、何気なく見て、聞いて、脳の中に入っているものがひっかかるんだと思っている。。
サブリミナルな記憶が、「これはやばいぞ」と教えてくれているのだ。

ずっと経験していると、その分野では第六感が働くようになるのは、このサブリミナル記憶のおかげだと思う。

仕事以外では、ぼくの第六感はあまり当たらない。
勘が鈍いと思う。

これは、生まれつきのものなのか…。

鈍い方がいいときもあるとは思うが、スルドイひとはうらやましい。

日常生活にもっと注意をはらうことが必要なのだと思う。

それはそれで、難しい。

この年では、もうムリか…。



| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
左様なら
初めて「さようなら」の意味を知ったのは、家で何かの話をしていた時。

母が「さようなら」というのは、「左様なら」のことだと言った。

それまで「さようなら」という言葉に元の意味があるとは思っていなかった。
「さようなら」の意味は「さようなら」だったのだ。

ところが、それは「左様なら」だという。

時代劇のセリフで、「いかがでござるか?」「左様でござるな…」などという時の「左様」だ。
現代語に直すと、「どうでしょうか?」「そうですね…」という時の、「そう」が「左様」。

「さようなら」というのは、「左様なら」であり、「それなら」というような意味になる。

今でも、別れぎわに「そしたら…」とか「そういうことで…」ということがある。
もっと関西風に言うと「ほな」になる。

これがまさに「さようなら」の意味だ。

「ほな、さいなら」は同じことを二度言っているのだ。

「さらば」も、「さ あらば」であり、「そうであれば」という意味だろう。

日本人は別れぎわには「また会おう」というふうには言わない。

そういうことなら…と含みを残して去っていく。

ということは、長い年月を経て、いつか別れの挨拶が「そしたら」になっているかもしれない。

そして、「さようなら」は古語辞典に「そしたらのこと」などと書かれるのか。

あり得るなあ…。



| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |