考えたこと2

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左様なら
初めて「さようなら」の意味を知ったのは、家で何かの話をしていた時。

母が「さようなら」というのは、「左様なら」のことだと言った。

それまで「さようなら」という言葉に元の意味があるとは思っていなかった。
「さようなら」の意味は「さようなら」だったのだ。

ところが、それは「左様なら」だという。

時代劇のセリフで、「いかがでござるか?」「左様でござるな…」などという時の「左様」だ。
現代語に直すと、「どうでしょうか?」「そうですね…」という時の、「そう」が「左様」。

「さようなら」というのは、「左様なら」であり、「それなら」というような意味になる。

今でも、別れぎわに「そしたら…」とか「そういうことで…」ということがある。
もっと関西風に言うと「ほな」になる。

これがまさに「さようなら」の意味だ。

「ほな、さいなら」は同じことを二度言っているのだ。

「さらば」も、「さ あらば」であり、「そうであれば」という意味だろう。

日本人は別れぎわには「また会おう」というふうには言わない。

そういうことなら…と含みを残して去っていく。

ということは、長い年月を経て、いつか別れの挨拶が「そしたら」になっているかもしれない。

そして、「さようなら」は古語辞典に「そしたらのこと」などと書かれるのか。

あり得るなあ…。



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