考えたこと2

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スピンオフ
思わぬところで役に立ったとか、ついでにわかってしまったとかいうのが、スピンオフという言葉の意味。
派生的にできた、ということ。

何かを調べていて、いろいろな実験をしたら、思わぬ結果が出た。
目的は達せられなかったが、どうもヘンな結果だ。
これは、役に立つかもしれない…。

たしか、ポストイットも、そんなふうにしてできたはず。

ちょっと違うかもしれないが、超微細繊維の布も、作ったものの何に使えるのか…と思ってメガネを拭いてみたら、すごくきれいになったので、「これだ」ということになったとのこと。
これも、用途としてはスピンオフかもしれない。

スピンオフを大事にしないといけない、と20代のころエライ人に言われた。
その通りだと思う。

それは、スピンオフがわかる人にならないといけないということだ。

機械的に仕事をして、視野が狭くなってはいけない。
いろんなことに問題意識をもっていないと、スピンオフをわかることができない。

目標が達せられなかったから、終わりにして、別のことを始めてしまったら、「ヘンな結果」は捨てられてしまう。
なぜ、そうなったのか…、それを解き明かそうとすることで、初めてスピンオフが出てくる。
あるいは、この「ヘンな結果」はこんなことに使えるぞ、という意識があって、スピンオフが日の目を見る。

スピンオフを大事にできる人というのは、結局は機械的に仕事をするのではなく、広い視野を持って仕事ができる人という意味だったのだと思う。

20代のころに聞いた話の真の意味は、目の前の仕事を片づけるだけの人からは、スピンオフは出てこない…そういうことだったのだろう。

今なら、よくわかる。




| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
黒笑小説
黒笑小説 東野圭吾 集英社文庫

怪笑小説、毒笑小説に続く東野圭吾のブラックユーモアの短編小説集の3冊目。
長いブランクだった。(推理小説はたくさん書いているが)

この人、自分でも筒井康隆の短編を意識しているのだろう。
筒井が書いた文壇のパロディ小説である、「大いなる助走」と同じテーマで書いている短編を「もうひとつの助走」という題名にしている。

文学賞をなかなか取れない作家と、それを取り巻く編集者たちの思いを皮肉たっぷりに書いている。

13の短編のうち、4つほどが文壇や編集者をテーマしたもの。

さもありなん…という内容で、いずれも、虚勢をはる作家と職業柄しかたなくつき合っている編集者のぼやきや、作家を商品として冷たく見ている出版社の内実が、皮肉たっぷりに書かれている。

東野圭吾が実際にそんなふうに扱われたとは思わないが、作家という商売、何が売れるのかワカラナイ…という綱渡りのような世界を歩んでいるということがよくわかる。
売っているのは、作家の力量なのか、それとも出版社の方針なのか…。
作家から見ると、たしかにそういう側面もあるのだろう。
「いい小説」と「売れる小説」は違うだろうし、文学賞の選考作家たちの思惑と、出版社の見方は違うのかもしれない。

今や、小説よりもコミックの方がドラマ化されるケースが多いのだから、時代も変わったものだ。

文壇をテーマにしたもの以外にも面白いものが揃っている。

ぼくは、やっぱり若いころに読んだ筒井康隆の短編の方が好きだが、眠れぬ夜を過ごすためにはもってこいの短編集。

笑えるところは少ないが、にんまりできる。




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