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2006.05.19 Friday
結果論
2002年の2月16日にこんなメモを残していた。
「人間には元々やりたいことなどなく、やってきたことを自分で評価して満足できるかどうかだけ。」 どんな心境でこれを書いたのかは思い出す術もないが、どうなんだろう。 やりたいと思って、始めたものはどれだけあるのか…。 ギターを長いこと弾いているが、これは偶然家にギターがあったから…という部分が大きい。 やりたい、と思って始めたバンジョーは途中で挫折し、ケースに入って押し入れの中にある。 小学校の頃、手塚治虫や石森章太郎にあこがれ、マンガ家になりたい、と思って、自由帳にマンガを描いていたが、結局それで終わってしまった。 仕事は、やっているうちに面白くなったものもあるし、イヤだったものもある。 でも、やりたいと思って始めたものではない。 本を読むのも好きだが、これも、小学校の頃、親に買ってもらった本を寝る前に読み出したのが最初。 全く読まない時期もあったが、最近はコンスタントに読んでいる。 読書がしたい、と思って始めたものではない。 パソコンで音楽をやりたい、と思った時期もあった。 出始めのパソコンを給料をはたいて買って、2曲ほどデーターを打ち込んだ。 1曲は、踊るポンポコリンだった。データーを数字で入れて、音が出た時はうれしかったが…。 やっぱりコンピューターはコンピューターだ。 2曲打ち込んだだけで、めんどくさくなって、そのパソコンは使わぬまま十年ほど前に荒ゴミになった。 落語も、中学の頃、笑福亭仁鶴が出てきて、大ファンになり、落語をやりたいと思った。 この経緯は前に書いたが、落研で4年間堪能し、それ以降やっていない。 だいたい、一人ではできないのだ。 してみると、やりたいことなどない、というのは言い過ぎか。 やりたいことはある。 でも、自分にとって大切なのは、やりたかったことよりも、自分がやってきたことのような気がする。 ほとんどの人はそうではないか。 やりたかったけど、やめてしまったものも含めて、やってきた事の連続が今の自分という物語になる。 このメモを書いた自分は、やりたいことができていなかったのかもしれない。 やりたいことができなくても、いいではないか、というのが、これを書いた動機だろう。 今やっていることを一生懸命やって、それで満足できれば、いいんだ、という事を言いたかったんだと思う。 本当にやりたいことをやって、満足できる人生を送れる人は、ほんの一握りしかいない。 やりたいことができていなくても、今やっていることを頑張れば、満足できるから…ええやん、ということだ。 自分探し、という言葉があるが、この言葉はキライだ。 自分は作るもので、探すものではない。 今は適当にやっていて、いつか本当の自分を捜し当てるなんて、おかしいと思う。 今を頑張るしかないのだ。 歌の題名ではないが、「結果論だよ人生は」というところだろう。 |
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