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2006.05.17 Wednesday
人は一本の管
昔、何かの生物系の本で、人間は一本の管である、という説明を読んだ覚えがある。
生きていくためには、外部からエネルギーを摂らないといけない。 エネルギーを、食物というカタチで取り込んで、摂取し、残りかすを捨てる、という一本の管が人間だ、ということになる。 口から、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸を通って、肛門にという消化管がそれだ。 そこに、唾液や胃液、胆汁、膵液などを出すための仕組みがひっついている。 取り込んだエネルギーを燃やすために酸素が必要だ。 だから、肺があって、血液を回す仕組みがある。これが心臓だ。 エネルギーを溜めておいたり、外部から身を守るための仕組みや、解毒作用、水分の排泄作用などその他の器官がある。 それらを司っているのが、脳だが、この部分は考えるための部分ではなくて、生きるための本能の部分だろう。 エネルギーを取り込むためには、食べ物を見つけなければならない。 そのために目や耳、骨や筋肉がある。これも脳が補助している。 こんな風に考えると、人間の基本装備で一番不要なものが、大脳新皮質とかいう部分になるのだろうか…。 とりあえず、エネルギーを取り込んで、物質交代するというところにはかかわっていなさそうだ。 脳の「考える」ための部分は、生きるために必須の部分ではないということだ。 しかし、その部分が、人間を生物として、それ以外の生物の中で特徴づけている部分である、というのは象徴的だ。 「人はパンのみにて生きるにあらず」というのは、この生物的特徴を表す言葉とも思える。 生きる意味とか、目的とか、生きがいとか…。 何のために働くのかとか、仕事を選ぶとか…。 正しく考える事は難しいが、生きていく上での基本装備ではないところでやっているので、まだまだ生物的に慣れていない部分なのかもしれない。 あと何千年か、何万年か後、もし人類が存続していたら、だいぶ慣れているんだろうか…。 |
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