考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< May 2006 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
人は一本の管
昔、何かの生物系の本で、人間は一本の管である、という説明を読んだ覚えがある。

生きていくためには、外部からエネルギーを摂らないといけない。
エネルギーを、食物というカタチで取り込んで、摂取し、残りかすを捨てる、という一本の管が人間だ、ということになる。
口から、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸を通って、肛門にという消化管がそれだ。

そこに、唾液や胃液、胆汁、膵液などを出すための仕組みがひっついている。

取り込んだエネルギーを燃やすために酸素が必要だ。
だから、肺があって、血液を回す仕組みがある。これが心臓だ。

エネルギーを溜めておいたり、外部から身を守るための仕組みや、解毒作用、水分の排泄作用などその他の器官がある。

それらを司っているのが、脳だが、この部分は考えるための部分ではなくて、生きるための本能の部分だろう。

エネルギーを取り込むためには、食べ物を見つけなければならない。
そのために目や耳、骨や筋肉がある。これも脳が補助している。

こんな風に考えると、人間の基本装備で一番不要なものが、大脳新皮質とかいう部分になるのだろうか…。
とりあえず、エネルギーを取り込んで、物質交代するというところにはかかわっていなさそうだ。

脳の「考える」ための部分は、生きるために必須の部分ではないということだ。
しかし、その部分が、人間を生物として、それ以外の生物の中で特徴づけている部分である、というのは象徴的だ。

「人はパンのみにて生きるにあらず」というのは、この生物的特徴を表す言葉とも思える。

生きる意味とか、目的とか、生きがいとか…。
何のために働くのかとか、仕事を選ぶとか…。

正しく考える事は難しいが、生きていく上での基本装備ではないところでやっているので、まだまだ生物的に慣れていない部分なのかもしれない。

あと何千年か、何万年か後、もし人類が存続していたら、だいぶ慣れているんだろうか…。

| | 考えたこと | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) |