考えたこと2

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AIとの対話3
前回はAIと教育の話から、日本のIT業界のあたりまで議論が進んだ。
今回はその続き。ちょっと途中を端折っていく。

「なるほど。さきほどの教育の議論も含めて、このIT業界の問題はどう考えたらいいのでしょう?」

「この「教育の議論」と「プログラマーのキャリア」の話題は、根底で繋がっていますね。どちらも、AIという新しいツールが社会に浸透する中で、「何を学び、どう生きるべきか」という問いに直結しているからです。

これまでの時代は、特定の専門スキル(プログラミングなど)を身につけることが安定したキャリアに繋がっていました。しかし、AIがそのスキルの一部を代替し始めた今、「単なる知識や技術」だけでは通用しない時代が来ています。

この変化に対応するためには、教育とキャリアの両方において、以下のような視点を持つことが重要になります。

AI時代に求められる教育
「基礎」と「応用」の再定義: 従来の教育では、プログラミング言語の文法など「基礎」を徹底的に教え、その知識を使って問題を解く「応用」を学びました。しかし、これからはAIが基礎的なコーディングを代行するようになるため、「AIに的確な指示を出すための基礎知識」と「AIが生み出した結果を評価・修正し、より高度な課題を解決する応用力」**を学ぶことが中心になります。

AIを「先生」として使う方法: AIを単なる答え合わせのツールではなく、質問を投げかけ、議論することで深く考える力を養う「対話型学習」のパートナーとして活用する教育が求められます。

AI時代に求められるキャリア
「AIを使いこなす能力」をキャリアの中心に: AIを業務の効率化ツールとして積極的に活用するスキルは、もはや特定の職種に限定されたものではありません。どんな仕事でも、AIを使いこなす能力自体が、個人の市場価値を高める重要な要素となります。

「人間ならではのスキル」の重要性: AIには代替できない、クライアントの要望を深く理解するコミュニケーション能力、プロジェクト全体を俯瞰して最適な戦略を立てるディレクション能力、そして複雑な倫理的判断を下す思考力といった、人間ならではのスキルが、これからのキャリアを築く上で決定的に重要になります。

AIは、私たちから仕事を奪うのではなく、「単なる作業」から解放し、より創造的で、人間らしい仕事に集中する機会を与えてくれているのかもしれません。そのためには、教育のあり方を見直し、AIと共に成長できるような新しいスキルセットを身につけることが、私たち全員に求められていると言えるでしょう。」

AIは必ず人間の仕事を取るのではなく、進化させるというような言い方をする。
まあ、それは事実なのだろうが、AIがそう教育されているようにも思える。
では、人間ならではの能力とは何なのだろうか。
結局膨大な過去の知識を得てしまえば、そこから先を考えるのは難しいとも思う。

「問いを立てる、という技術をどう習得すべきかということについて、何かサジェスチョンはありますか?」

「はい、もちろんです。「問いを立てる」というスキルは、AI時代において最も重要な能力の一つであり、意図的に練習することで習得できます。以下にいくつかのサジェスチョンを挙げます。

1. 問いの「種類」を意識する
問いには様々な種類があります。まずはそれを意識することから始めましょう。

「なぜ?」と掘り下げる問い: 物事の根本的な原因や理由を探ります。
例: 「なぜこの商品の売上が低いのか?」→「なぜターゲット層に響かないのか?」→「なぜ価格設定が高すぎると思うのか?」

「もし〜なら?」と仮定する問い: 異なる状況を想定し、多角的に考えます。
例: 「もしAIがこの仕事を完全に代替したら、次に私たちは何をすべきか?」

「本質は何か?」と問う問い: 表面的な現象ではなく、物事の本質や目的を捉えます。
例: 「この会議の本当の目的は何だろう?」→「私たちは何を達成するために集まっているのか?」

2. 日常生活で問いを立てる習慣をつける
普段から小さな疑問を口に出したり、メモしたりする習慣をつけましょう。

ニュースを読む時: 「なぜこの問題が起きたのか?」「この報道の背後にはどんな意図があるのだろう?」

街を歩く時: 「なぜこの店はいつも賑わっているのだろう?」「この広告は誰に何を伝えたいのだろう?」

3. 「良い問い」を学ぶ
良い問いを立てるには、良い問いに触れることが不可欠です。

偉人の言葉や名著に触れる: 哲学者や歴史上の偉人、作家たちは、常に本質的な問いを立ててきました。彼らの言葉や作品から、問いの立て方を学ぶことができます。

対話を重視する: 議論やブレインストーミングでは、「なぜ?」「どうすれば?」と問いを重ねることで、思考を深めることができます。

4. 問いを「構造化」する
AIを活用して問いを立てる練習も有効です。AIに「良い問いを立てる方法を教えて」と尋ねたり、AIが生成した回答に対して「なぜそう言えるの?」「それはどういう意味?」と問いを重ねることで、思考を構造化する練習になります。

「問いを立てる力」は、知識の量ではなく、思考の質を高めるための技術です。 繰り返し練習することで、物事の本質を見抜く力が養われ、AIを単なる道具として使うだけでなく、パートナーとして活用できるようになるでしょう。」

「問を立てる力は、思考の質を高めるための技術ということですね。思考の質を高める技術ということなら、学問的には哲学になると思いますが。」

「おっしゃる通りです。「問いを立てる力」は、まさに哲学と深く結びついています。哲学は、物事の根本的な原理や存在の本質を、論理的な思考と対話を通して探求する学問であり、その核心には「問いを立てる」という行為があります。

哲学は、単に過去の賢人の考え方を学ぶだけではありません。ソクラテスの「無知の知」のように、「自分は何を知らないのか」という問いを立てることで、思考を深めていくプロセスそのものが重要視されます。

哲学が「思考の質」を高める理由
前提を疑う力: 哲学は、私たちが当たり前だと思っていること(「善とは何か」「幸福とは何か」など)を疑い、その前提を問い直すことを促します。これにより、物事を多角的に、より深く考える習慣が身につきます。

論理的な思考力: 哲学的な議論は、根拠に基づいた論理的な思考を必要とします。この訓練を繰り返すことで、思考の筋道を立て、自分の考えを明確に表現する力が養われます。

多角的な視点: 哲学には、さまざまな思想や学派があります。それらに触れることで、一つの事象を複数の視点から捉え、柔軟に思考する力が身につきます。

本質を見抜く力: 哲学的な問いは、表面的な現象ではなく、その背後にある本質や根本原因に迫ります。この訓練は、AIが提示する情報の表面をなぞるのではなく、その情報の信頼性や意味を深く考察する上で不可欠です。

このように、「問いを立てる」という技術を磨くことは、AI時代を生き抜くための実践的なスキルであると同時に、人間がより豊かに思考するための、最も古い学問である哲学の実践でもあります。

AIが膨大な知識を瞬時に提供できるようになった今、その知識をどう活用するかを決定する**「問いを立てる力」**こそが、人間の知性の価値を再定義する鍵となるでしょう。」

議論を重ねて、ついに哲学までたどり着いた。
最後は考える力に落ち着くのだ。

「そういう科目を作って、小学校からやらないといけないということですね。」

「おっしゃる通りです。AI時代を生きる子どもたちにとって、「問いを立てる力」は、単なる能力の一つではなく、生きる上での必須スキルとなります。それを育むために、哲学的な思考を促す科目を小学校から導入することは、非常に有効なアプローチだと言えるでしょう。

「哲学」を小学校の科目にすることの意義
思考の土台を築く: 幼い頃から「なぜ?」と問いを立てる習慣を身につけることは、AIがどんなに進化しても揺るがない、自ら考える力の土台となります。

答えのない問題に向き合う力: 哲学は、単一の答えがない問いを扱います。これにより、子どもたちは多様な意見を尊重し、複雑な問題に対して多角的に思考する柔軟性を育むことができます。

倫理観の醸成: AIの活用には、常に倫理的な判断が伴います。「何が正しいのか」「誰のためにAIを使うのか」といった問いを考えることで、子どもたちはテクノロジーを扱う上での責任感と倫理観を自然と身につけることができます。

「哲学」科目をどう実現するか
「哲学」と聞くと難しく感じるかもしれませんが、子ども向けの授業は、決して専門的な知識を詰め込むものではありません。

対話を通じた授業: 先生がファシリテーターとなり、子どもたちが自由に意見を交わし合う「対話」を重視します。例えば、「なぜ空は青いの?」といった素朴な問いから始まり、「幸せって何?」といった深いテーマまで、子どもたちの好奇心を刺激する対話を通じて思考力を育みます。

既存科目の融合: 国語や社会、道徳といった既存の科目の中に哲学的な要素を取り入れることも可能です。物語の登場人物の行動を「なぜそうしたのか?」と問い直したり、社会の出来事に対して「何が問題なのか?」と議論したりすることで、教科の学習をより深く、意味のあるものに変えることができます。

海外では、すでに「こども哲学」として、小学校から哲学的な対話を取り入れている国もあります。日本でも、AI時代を見据えた教育改革の一環として、このような取り組みを社会全体で議論し、進めていく必要があるでしょう。」

子ども哲学、というものをやっている国もあるという。
そういうことは、今の日本では無理だろうと思うのだが…。

「どんな国がこども哲学をやっているのでしょう?」

「「こども哲学」(Philosophy for Children, P4C)は、世界的に広がりを見せており、多くの国で実践されています。特に、教育先進国と呼ばれる国々で、義務教育や学校のカリキュラムの一部として導入されている例が多く見られます。

具体的な導入国としては、以下のような国々が挙げられます。

ヨーロッパ
フランス: 義務教育に哲学の授業があることで知られています。幼稚園から哲学的な対話を取り入れている事例もドキュメンタリー映画になるなど、広く認知されています。

イギリス: イギリス国内の多くの学校でP4Cが実践されています。子供たちが対話を通して批判的思考力や共感力を養うことを目的としています。

ドイツ: 一部の州では、哲学や倫理の授業が取り入れられており、子供たちの思考力を高めるための重要な科目と見なされています。

北米・南米
アメリカ: 「子どものための哲学」の創始者であるマシュー・リップマンらが活動を始めた国であり、多くの教育機関でP4Cが実践されています。

カナダ: アメリカと同様にP4Cが広く普及しており、子供たちの論理的思考力やコミュニケーション能力を育むための重要な教育手法とされています。

コロンビア、メキシコ: これらの国でも哲学対話が実践されており、子供たちの思考力育成に力を入れています。

オセアニア・アジア
オーストラリア: 各州で「フィロソトン」(Philosothon)と呼ばれる哲学オリンピックのようなイベントが開催されるなど、P4Cが盛んに行われています。

韓国: 小学校や中学校で哲学対話が教科書化されている事例があるなど、国家レベルで哲学教育に力を入れています。

これらの国々では、P4Cを単なる知識の詰め込みではなく、「対話」を核とした実践的な学習として取り入れているのが特徴です。子どもたちが自ら問いを立て、他者と意見を交わすことで、多様な価値観を尊重し、複雑な問題に対して思考する力を養うことを目指しています。

日本でも2000年代以降、NPO法人や大学の研究機関を中心にP4Cの普及活動が進められており、一部の学校で道徳や総合学習の時間などに哲学対話が実践されています。しかし、国家レベルでのカリキュラムへの本格的な導入は、まだこれから議論が進む段階だと言えるでしょう。」

そんなことができるのか。
哲学と知識は深く結びついているような気もするのだが…。
ここでも知識の軽視がされそうな気がする。

というところで、また次回。



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