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2025.10.10 Friday
AIとの対話1
AIはホワイトカラーの仕事を奪うと思うが、教育界の先生の仕事も奪うと思う。
知識の量は先生よりも格段にすごい。 児童や生徒が聞くような質問は、すべて答えられるだろう。 もう既に、イラストレーターなどの仕事は奪われつつある。 そのあたりから、Geminiに聞いてみた。 「AIで簡単に画像生成できるようになると、イラストレーターの仕事などはなくなっていきそうに思いますが、現状はどうなのでしょうか?」 「まとめ:AIの進化は、イラストレーターの仕事のあり方を大きく変えつつあります。単純な作業はAIに置き換わる一方で、AIをツールとして活用し、人間ならではの創造性やコミュニケーション能力を活かすことができるイラストレーターは、今後も活躍できるでしょう。重要なのは、AIに仕事を奪われると恐れるのではなく、AIを使いこなすスキルを身につけ、自身の強みを磨き続けることです。」 という回答。 途中の会話は省略したが、Geminiも人間の仕事を減らすとは答えないように教育されているのだろう。 それでも、オーダーに合わせて、適当なイラストを描くような仕事はなくなるだろう。 「商業写真なども、生成AIに置き換わっていくと思いますが?」 「はい、おっしゃる通り、商業写真の分野も生成AIの影響を大きく受けています。特に、ストックフォト(素材写真)や商品のイメージ写真など、特定のコンセプトに基づいて大量に制作される写真の領域では、AIへの置き換えが進む可能性があります。 AIは、テキストの指示だけで様々な構図やスタイルの画像を瞬時に生成できるため、撮影の手間やコストを大幅に削減できます。これにより、簡単な広告用画像やSNS投稿用の写真などは、プロのカメラマンに依頼する代わりにAIで生成するケースが増えていくでしょう。 しかし、写真家という仕事が完全になくなるわけではありません。AIが置き換えにくい、人間ならではの価値が求められる領域は依然として存在します。」 ということで、商業写真家の仕事も減っていく。 「なるほど。映画の脚本や小説などの領域もいずれAIが進出していくでしょうね。」 「ご認識の通り、映画の脚本や小説といった創作分野でも、AIの進出はすでに始まっています。単純なストーリー展開や設定であれば、AIが学習データに基づいて自動生成できるようになっていますし、既存作品の続編やスピンオフなどもAIが下書きを作成するケースも出てきています。 しかし、これらの分野でも、AIがすぐに人間の作家を完全に置き換えるかというと、そう簡単な話ではありません。AIと人間の作家が共存する未来が現実的でしょう。 AIが変える創作のプロセス AIは、以下のような形で創作のプロセスを効率化するツールとして活用されています。 アイデア出しの補助: プロットのアイデアやキャラクター設定のバリエーションをAIに大量に生成させ、作家がそこからインスピレーションを得る。 下書きの作成: シーンごとの台詞や描写をAIに書かせて、作家がそれを編集・加筆修正する。 構成のチェック: 物語の構成に矛盾がないか、読者の興味を引く展開になっているかをAIに分析させる。 作家は、AIに任せられる部分を効率化することで、より本質的な創造活動に集中できるようになります。」 会話は続くが、やっぱり脚本家などのクリエイターの仕事も減っていくのだ。 「なるほど。いずれにしても、そういうクリエィティブな領域ではAIに代替えされる仕事が増えるということですね。」 「その通りです。クリエイティブな領域においても、AIに代替される仕事が増えていくのは確実でしょう。 しかし、これは「クリエイティブな仕事がなくなる」という意味ではありません。むしろ、「クリエイティブ」の定義そのものが変わっていくと考えるべきです。 AIは、過去のデータを学習して、効率よく、高品質な「似たもの」を生み出すのが得意です。これにより、単なる作業や技術を伴う仕事はAIに置き換えられていきます。」 そうらしい。 人間は、人間ならではの考えや感情に基づいた物語を、ゼロから生み出すところが必要だという。 いずれにしても、ごく少数だろう。 「しかし、AIに頼りすぎてしまうと、生成されたもの以上の思考がなくなり、単にAIを使うという人間が増えてくると思いますが、その心配はないでしょうか?」 「それはAI時代における非常に重要な懸念点ですね。AIに頼りすぎることで、人間の思考力や創造性が衰えてしまうのではないか、というご心配はもっともだと思います。 AIは非常に便利なツールですが、依存しすぎると、次のようなリスクが考えられます。 1. 思考の画一化 AIは、膨大な過去のデータに基づいてパターンを学習し、それに沿ったものを生成します。もし私たちが、AIが生成したアイデアや文章をそのまま受け入れてしまうと、結果として生まれる作品や思考が、AIの学習データという既存の枠組みに縛られてしまう可能性があります。 独自の視点や発想の飛躍といった、人間ならではの「ひらめき」が失われ、皆が似たような発想しかできなくなる、という懸念は否定できません。 2. 批判的思考力の低下 AIが提示する答えやアイデアは、一見すると完璧に見えることが多いです。そのため、それらを鵜呑みにしてしまうと、「本当にこれで良いのか?」「他に別の可能性はないか?」といった批判的に考える力が鈍ってしまうかもしれません。 AIをただの「答えを出す機械」として使うのではなく、あくまで「思考の補助ツール」として使い、その結果を人間が吟味する姿勢が不可欠です。 3. スキル習得機会の喪失 絵を描く、文章を書くといったスキルは、何度も試行錯誤を繰り返すことで習得されるものです。AIがこれらの作業を代行してしまうと、人間が基礎的なスキルを身につける機会そのものが失われ、結果としてAIが生成したもの以上の創造的な発想ができなくなる、という懸念もあります。」 たしかに、AIの作った音楽は、どこかで聞いたことがある、というものになる。 最近、ギターの練習用に80年代のJ-PopというジャンルのAIの音楽をかけるが、もうボーカルといい、リズムといい、ストリングスやブラスの伴奏、ギターの演奏など、これぞJ-Popという音楽になっている。 だから、練習用にはちょうどいい。 コードも有名な進行ばかりで、特異ものは出てこない。 だから、練習にはちょうどいいのだ。 会話はAIとの付き合い方の注意などが続く。 「たしかに、賢く付き合うべきなのはよく分かるのですが、その知識すら持っていない人がAIを使い始めると、危険ですよね。」 「その通りですね。AIとの賢い付き合い方を知らない人がAIを使い始めると、いくつかの危険が考えられます。 AI利用における具体的な危険性 情報の真偽を確かめない 個人情報の流出 著作権や倫理観への配慮不足 思考停止への陥りやすさ 危険性を乗り越えるための対策 これらの危険を乗り越えるためには、AIを使い始める前に、最低限の知識とリテラシーを身につけることが重要です。 AIの仕組みを理解する ファクトチェックを習慣化する プライバシーポリシーを確認する 倫理観を持って使う 多くの人がAIを使うようになる今、これらのリテラシーは、インターネットを使う上でのマナーやセキュリティ意識と同じくらい重要になってきています。AIを安全かつ有益に利用するためには、「AIは万能ではない」という認識を持ち、常に自分の頭で考える姿勢を忘れないことが大切です。」 やはり、既に寿命が近づいたぼくらではなく、これからの人たちが大変になるのだろう。 「私達の世代はAIによる生成の最初の部分を知っている世代ですから、まだAI生成以前の知識を持っていますが、今の子供たちは例えば宿題が出てもAIでやってしまったりすることに対する対策さえもまだ話し合われていません。そういうことを社会が問題にしていかないといけませんね。」 「確かに、おっしゃる通りです。私たちの世代は、AIが本格的に普及する前の時代を知っているため、AIを「便利なツール」として客観的に見ることができます。しかし、AIが当たり前の環境で育つ今の子供たちにとっては、その区別が曖昧になり、「AIなしでは思考できない」という状況に陥るリスクがあります。 宿題をAIにやらせてしまうという問題は、そのリスクがすでに表面化している例の一つです。この問題は単に「カンニング」の是非にとどまらず、子供たちの学習そのものに深く関わる社会的な課題です。 AI時代に必要な教育の再定義 この問題に対応するためには、教育のあり方を根本から見直す必要があります。 AIの正しい使い方を教える AIを禁止するのではなく、「AIはあくまで道具である」という前提を教えることが重要です。AIを活用して情報を集めたり、アイデアを広げたりする方法を教えつつ、最終的な判断や責任は人間が負うという意識を育む教育が求められます。 AIに代替されない能力を育む AIが不得意な能力、つまり**「問いを立てる力」「批判的に考える力」「共感する力」などを伸ばす教育にシフトする必要があります。答えを暗記するような宿題ではなく、AIでは答えが出せないような探究的な課題**や、他者と協力して解決する課題を増やすことが一つの方法です。 社会全体での議論とルール作り AIの教育における利用方法については、まだ明確なルールがありません。学校だけでなく、家庭や社会全体で「AIをどのように教育に取り入れるべきか」「どこからが不正行為にあたるのか」といった議論を活発に行い、共通の認識やガイドラインを策定していく必要があります。 AIは、使い方を間違えれば子供たちの成長を妨げる可能性もありますが、適切に活用すれば、これまでの教育ではできなかった新しい学習体験を提供できる可能性も秘めています。この過渡期にある今だからこそ、社会全体でこの問題に向き合い、AIと共存するための新しいルールや価値観を築いていくことが急務だと感じます。」 ここが一番問題だと思う。 日本の社会はITリテラシーが低く、今の役人や政治家にこれらの問題に対処できる能力があるとは思えない。 Geminiに聞くと、海外ではもう既にいろいろ取り組みが始まっているという。 日本ではいじめと教育委員会の問題や、先生不足の話は聞くが、AIと教育というような「差し迫った現代の問題」についてのニュースは聞いたことがない。 それはGeminiも知っていた。 「日本ではそういう議論すらされていません。それは教育者たちのリテラシーの低さも原因なのかと思いますが、全体的にITリテラシーが低く、危機感すら持てていないのだと思います。」 「確かに、日本では海外に比べて、AIを教育にどう取り入れるかについての議論が、まだ社会全体で活発に行われているとは言いがたい状況ですね。その背景には、いくつかの要因が考えられます。 日本におけるAI教育議論の遅れと要因 ITリテラシーの格差 日本全体として、IT技術やデジタルツールに対するリテラシーには大きなばらつきがあります。教員の中にも、AIツールの仕組みや活用方法を十分に理解している人とそうでない人がいるため、学校現場での議論が深まりにくいのが現状です。 「正解」を求める教育文化 日本の教育は、過去の経験やカリキュラムに沿って「正解」を教えることに重きを置く傾向が強いです。AIのように、正解が一つではない、あるいは倫理的な判断が求められる新しい技術に対して、どのように指導すれば良いのかという戸惑いがあるのかもしれません。 議論を主導する組織の不在 海外では、政府機関や特定のNPO、研究機関などが主体となって、AIの教育利用に関するガイドラインを策定したり、議論を先導したりする動きが見られます。日本では、そうした議論を牽引する中心的な役割を担う組織がまだ明確ではないため、社会全体に議論が広がりづらい状況にあると言えるでしょう。 危機感を持つべき理由 このままAI教育に関する議論が停滞すると、以下のようなリスクがさらに拡大する可能性があります。 教育格差の拡大: AIを使いこなせる家庭とそうでない家庭で、子供の学習機会や思考力に差が生まれてしまいます。 国際競争力の低下: AIを当たり前に活用する海外の子供たちと比べて、日本の子供たちが将来的に国際的な舞台で活躍する上で不利になる可能性があります。 デジタル社会への適応遅れ: AIが普及した社会で求められる「AIを賢く使う力」を身につけられないまま大人になってしまうかもしれません。 海外の事例を見ても、AIを一方的に禁止するのではなく、活用を前提として、そのリスクや課題について議論し、ルールを作っていくことが主流となっています。日本でも、教育者だけでなく、保護者、行政、企業など、社会全体でAIについて考え、子供たちの未来を守るための議論を始めていくことが急務です。」 こういう根本的な問題を論じるには、教育者たちの環境が整っていないのだろう。 現場の先生たちはどう対処しているのだろう。 子どもにスマホを持たせれば、宿題など簡単にできてしまう。 そういう危機感についてのニュースなど聞いたことがない。 まだまだ対話は続くが、長くなるのでここで一旦終わる。 AIは本当に賢いと思う。 |
