考えたこと2

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親戚
うちの父は広島県の三次市のもう少し奥の世羅郡で生まれた。
あのロックバンド、ツイストの世良公則の故郷だ。

ぼくが結婚するまでは、戸籍は世羅郡だった。
結婚を機に、母の勧めで当時住んでいた神戸市に移した。

父の父は軍人で満州に行っていた。
結局南方戦線で戦死した。
前に書いたかもしれないが、父は家族と別れて小さい頃から日本に住んで学校に行ったらしい。
祖父の家にいた時期もあったはず。

祖母がよく満州の話をしていた。
父は戦前に満州に行き、家族と過ごしたことを晩年に言っていた。
それまでは、生い立ちの話など一切しなかった。
そういうものかもしれない。

父の親戚は千葉に住んでいた妹だけで、子どもがいなかったので、そっちは縁が切れている。
祖母が亡くなった時に、お経を覚えて唱えていたのを見て、父にそういうところがあったのかと驚いた。
年を取って、信心深くなったのかもしれない。

母の祖父母は神戸に住んでいた。
祖父はぼくが小学校1年の時に胃がんで亡くなった。
夏休みに葬儀があったが、その時の白黒写真が残っている。
祖父母の親戚が集まり、孫のぼくらも入れて、総勢30人くらいが写っている。

祖母は姫路の奥の方の出で、祖父との間に4人の子がいた。
長女、次女、長男、三女の4人。
ぼくは次女の息子になる。

まだ行きているのは三女のおばさんだ。
ついこないだ、そのおばさんが「自分は上の男の子が早逝したので、できた子だ」と言っているのを聞いた。
それまで、母の下に男の姉弟がいたことを知らなかった。

祖父は設計事務所を開いていて、祖母の姉弟がそこで働いていた。
祖母は面倒見が良くて、一番年上の長女だったらしく、下の姉弟を神戸に呼んで祖父の設計事務所で働かせていたらしい。

こないだ百歳を超えて亡くなった大叔父もその一人だったとのこと。
祖母も百歳を超えた長生きだった。

今年のはじめに亡くなって、葬儀に行けなかったので、初盆にお参りに行ってきた。
百歳になっても、毎日歩いていたとのこと。
その大叔父が、ぼくがまだ小学生の低学年のころ、三菱のコルト1500ハッチバックに乗っていた。
運転席に座らせてもらったことを覚えている。

結局、両親はきょうだい以外、あまり親戚付き合いをしていなかったので、ぼくにも親戚付き合いをしている人はいない。
盆や正月に集まるというと、弟の家族だけだ。

ぼくには従兄弟が4人いたが、2人は亡くなっている。
そのうちの一人とは音信不通だ。
結局今でも連絡がつくのは1人だけ。

というわけで、盆や正月に親戚一同が集まるというような家が、なんとなく羨ましくもあり、大変だなと思うところもある。

おかげで考えている墓仕舞いについては、それほどもめずに済む。

これも遺伝なのだろう。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |

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