考えたこと2

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文化の日
今年も文化の日が来た。
年末が近くなったということだ。

ぼくらの小学校や中学校の頃は、文化祭みたいなものがあった。
小学校の頃は合唱や合奏をしたり、高学年になると演劇をやったと思う。
中学でも同じようなものだった。

息子らの時には、音楽祭はあったが、演劇はなかった。
やってるところは多いんだろうか。

ぼくの中学は1学年11クラスもあったが、それぞれのクラスで演劇をやった記憶がある。
人前で何かを演じるというのが嫌で、役を決める時にはひっそりと気配を消していた。
一応、みんな大道具とか小道具とか照明とか、何かの役につくことになっていたと思う。
いったいどうやって、いつ練習したのか、もう忘れた。
それでも、確かに昭和40年代にはそういうイベントがあったはず。

グーグルで検索すると、いまでもクラス対抗で演劇をやっている中学や高校もあるようだ。
でも、演劇というとみんなが出られるわけではないから、止めてしまったところも多いのだろう。

ぼくらの中学は公立で、1学年11クラスもあって、いちいち先生は指導などしてられないから、中学生が自主的に演劇をやったということだ。
今から考えるとエライものだ。
記憶をたどると、3年生だけだったかもしれない。

平田オリザが書いているが、子どもの数が減り、地域のコミュニティが崩れ、「学校でも、優しい先生が、子どもたちの気持ちを察して指導を行う。クラスの中でも、イジメを受けるのはもちろん、する方だっていやなので、衝突を回避して、気のあった小さな仲間同士でしか喋らない、行動しない。こうして、わかりあう、察しあう、温室のようなコミュニケーションが続いていく。」という指摘はある程度当たっているのだろう。
今は大学院で演劇を利用したワークショップをやっているという。
そういう事が必要とされているのだ。

たしかに昭和40年代は子供の数が多く、雑然とした時代だったのかもしれない。
まだまだ先生はエライ人だったし、授業中歩き回るような生徒は皆無だった。
だからこそ、そういう文化祭ができたのだろう。

人前で演技など…と思っていたぼくは、大学に入って落研に入り舞台に出た。
人は変わるものだ。
舞台でウケた時の一体感はやみつきになる。

息子の高校の文化祭では、演劇部の公演があって、毎年それを楽しみにしていた。
一時部員が激減して、先生も一緒に出ていた時期もあったが、また盛り返してよかった。

就職支援の仕事をしている時には、演劇が役に立つのではないかと思った時期もあった。

平田オリザが言っているように、「演劇」という芸術様式は他者を必要とするもので、文学や絵画とはまったく違う。
井上ひさしも講演で、いい舞台はその時だけのものであり、お客さんも舞台と一つになる、ということを言っていた。
他者とコミュニケーションすることを学ぶには、いいのだろう。

芸術の秋、久しぶりに演劇を見たくなった。

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