考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
とんかつ奇々怪々
とんかつ奇々怪々 東海林さだお 文春文庫

中古で買った。251円。
東海林さだおというと漫画の方が有名。
でも、この人はものを書いても上手だ。

1998年〜2000年に連載されていた「男の分別学」というコラムを集めたもので、その当時の世相を表している。
話題はペット、通販、ラーメン、蒸気機関車、つまようじ、散歩、自殺など、バラエティに富んでいて面白い。
どうして当時気が付かなかったのだろうか。

なかでも、「明るい自殺」という項はマジメに考えさせられる。

スーパーで見た70代と思われる、ズボンのファスナーが全開だった老人に端を発したコラム。
そこで作者は考える。

 この老人の毎日はどんなものなのだろう。
 朝起きて、ゴハンを食べる。
 もはや朝刊も読む習慣はないにちがいない。
 そして家族に服装を整えてもらう。
 老人はフラフラと家を出て徘徊を始める。
 その日、老人は途中のどこかのトイレでおしっこをしたにちがいない。
 そのあとスーパーマーケットに入ったにちがいない。
 おしっこをしたとき、ズボンのファスナーをしめ忘れたのだ。
 でもいまのところは、ブリーフの外に出したものを、用を済ませたあとブリーフの中にしまうという意識はまだ残っている。
 だが、この意識がなくなる日は近い。
 少なくとも一年後にはなくなっているはずだ。
 そのとき彼は、ブリーフの中にしまうものをしまわずに、スーパーマーケットの人混みの中を歩いていくはずだ。

そして人間の尊厳を考え、それを失ってしまったあとの人生を考える。
もちろんそうはなりたくないが、こればっかりはどうにもならないということだ。
そして書く。

 これからの人間は、二つの人生を強いられることになる。
 呆けるまでの人生と、呆けてからの人生の二つである。
 呆けるまでのその人と、呆けたあとのその人は別人である。
 人中でモノを出さないことを信条として生きてきた人間と、出して平気という人間は別人である。別人間ではあるが当人であることもまちがいない。
 一番悲しいことは、前半の当人が、後半の当人に全く責任が持てないことだ。
 こんな無責任な人生ってあるだろうか。
 自分の人生に責任を持たない、なんてことがあっていいのだろうか。

そして自殺という考えに至る。
自殺といっても、「明るい自殺」だ。
溜め込んだ睡眠薬とウィスキーを持って冬、雪の降る日に樹海に行って、楽しく酔って夢見るように凍死する、という計画が続く。

いざ死ぬとなるとウィスキーだけでなく、ビールも飲みたいし、おつまみも好きなものを食べたい。
魚肉ソーセージ、さつま揚げ各種、ワサビ漬け、カマボコ…。
それにメザシも食べたいので、コンロも必要になる…。

そういうふうに面白おかしく話は続くが、この問題は考えさせられる。

こんな重たいお話ばかりではない。
トンカツを食べ歩く話もあるし、ラーメンの話もある。

でも、ぼくは「明るい自殺」の話が身につまされた。

こういう話題を自然に読める、この本はいい本だ。



| | | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/235517
トラックバック