考えたこと2

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阪神大震災
今日は阪神大震災の起こった日。
年々追悼行事の報道が小さくなる。
今朝のニュースでも取り上げられていたが、時間は短かった。

阪神間はほとんど復興したのは事実。
2号線は広くなったし、地震の傷跡はほとんど残っていない。
6000人以上が亡くなったが、日が経つに連れて、ニュースバリューは下がる。

しかし、阪神大震災について思いを新たにすることは、いつか来る南海地震の予防にもなる。

もともとぼくらが小学校で習った時は、神戸の下に断層があることなど教えられなかった。
瀬戸内沿岸の神戸は、地震もなく、気候も温暖でとても住みやすいところ、だと習ったと思う。
それが地震が起こると、実は断層があった、ということになった。
まあ、小学校だったから、時期が違うので見つかってなかったのかもしれないが…。

これは何度か書いたが、本当に生きているだけで儲けものだと思った。
ぼくの家は震源からは遠いが、それでも家の中では本棚が倒れ、大変だった。
実家は瓦が落ちた程度で済んだが、すぐ近くになくなった人もいた。

あのとき交通が途絶して、自転車で会社に通ったり、会社で机一つに4人も5人も集まって話をしたりしたことは忘れない。

あの朝、ドンという音とともに布団の上で飛び上がった。
その次に布団の上で転がった。
そしたら、本棚が倒れてきて動けなくなった。

子どもはまだ小さかったので、寝ていて何も知らない。

次の日、車に乗って神戸の実家まで行った。
途中警官の指示を無視してUターンせず、夙川のところを川に沿って下り、2号線を西に曲がった。
ところどころ煙がでていて、火事のようだったが消防車も来ていない。
電気が消えた街は異様だった。
どこに段差があるかも分からないので、ゆっくり走ったのを覚えている。

2号線から北に曲がって、ちょうど阪急のガードをくぐると、2号線あたりの惨状がうそのように何ともなくなった。
家を朝6時過ぎに出て、着いたのが夜の9時過ぎ。
いつもなら、40分足らずで行けるのが、15時間かかった。

ぼくはだいたい親不孝な息子だと思っているが、あのときは親孝行ができたと思う。

母は神戸生まれの神戸育ち。
帰りの道で2号線近辺の惨状を見て、絶句していた。

そんな19年前の記憶もだんだんと薄れていく。

それでいいのだと思う。

人間は忘れる能力を持っている。

でも肝心なことは覚えておこう。
災害はいつやってくるか、わからない。
一度起こってしまったら、取り返しがつかない。
あんな災害は、どんな予防をしても、ムダだと思った。

しかし、家族はどこに集まるか、決めておこう。


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