考えたこと2

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罪の意識
またまたCNNの話題が続く。

こないだ久しぶりにCNNのサイトを見ていたら、面白い記事に当たってしまったので、悪しからず。

スタンフォード大学のベッキー・ショームバーグという人が「日常生活の中で罪の意識を持ちやすい人は、良いリーダーになる素質がある」との研究結果を報告したらしい。

へー、とびっくりした。
日本でリーダーシップというと、統率力とか、信頼感というようなキーワードが出てくる。
「罪の意識」というのは、ちょっと意外。
それがある方が、リーダーシップを発揮する、ということらしい。

続いてこう書かれている。

「罪と恥は似ているようだが、心理学的にはまったく別の概念とされる。「恥の意識は問題を回避したり他人を責めたりする姿勢、罪の意識は問題に立ち向かったり自ら責任を取ったりする姿勢につながる」と、ショームバーグ氏は説明する。」

なるほど。
そう言われれば、日本は「恥の文化」であり、西洋は「罪の文化」と言われている。
恥対罪では、罪が勝つという図式。(もちろん、そんなに単純なものではない)
確かに、恥は相対的なものであり、罪は絶対的なものかもしれない。
なぜなら、日本には絶対的な尺度などないが、西洋には神がいるから、絶対的な尺度がある。

「グループ活動で会話をリードしたり、課題への取り組みを主導したりする力を相互評価した結果と、性格テストの結果を照らし合わせたところ、罪の意識を持ちやすいグループはリーダーとして行動する傾向が強いことが分かったという。」

そういうこともあるかもしれない。
日米の政治家をみていると、よくわかる。
日本の総理大臣は、どうもリーダーシップがあるとは思えない。
オバマ大統領は(本当はよくわからないが)、日本の歴代総理よりはマシだろう。

これは文化の違いなのだ。
日本は「恥の文化」であり、アメリカは「罪の文化」。
野田総理が悪いのではない。
恥の文化が悪いのだろう。

「罪の意識を持ちやすい人は、周囲の人々や組織への責任感が強く、会社から課される責務を明確に意識し、全体の利益を優先する傾向がある。時には相応以上の課題を背負い込んでしまうこともあるが、同氏らが行った別の研究では、ストレスを抱えにくく、所属する組織への愛着も強いとの結果が出ているという。」

なるほど。
責任感が強いというのは、当たっているかもしれないなあ。
ただ、何に対する罪の意識かというのがわからない。
やっぱりアダムとイブまでさかのぼる「罪」の意識なのだろうか。
とにかく、罪は絶対値だというのが強い。
だからこそ、「会社から課される責務を明確に意識」することができるのだろう。
恥はこういう時に弱い。
とりあえず、対面が繕えればそれでOKだ。
あとはどうでもよい。

ここまで来ると、太刀打ちできない。

日本には議会制民主主義は似合っていないのかもしれない。

だから、どうしたらいいのかはわからないが…。



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