考えたこと2

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科学と文学
寺田寅彦著 青空文庫

電子書籍リーダーを買って、ダウンロードした。
昭和8年の作品。
こういうのがあるから、年寄りは得だ。
昔読みたかったが、入手できない作家の本が著作権が切れて青空文庫というサイトで公開されている。
この寺田寅彦や岡本綺堂、正宗白鳥、泉鏡花などが無料で読めるのだ。
ボランティアで電子化してくれたみなさんに感謝しながら、読む。

寺田寅彦は科学者だったが、夏目漱石の弟子でもあり、科学者兼文学者。
たくさんの随筆を残している。
今でこそ、日本でも海外でも、ノンフィクションの分野で科学者の伝記文学や業績、最新の研究動向などを科学者兼作家たちが本にしているが、昭和8年当時は少なくとも日本ではそういう動きはなかったと思う。

この科学と文学という小論で、寺田寅彦はそういう事態を予測している。

「それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるためにとるべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。」

現在、科学者であり、文学者でもある人たちがいる。
日高敏隆、杉山幸丸、正高信男…、これらはいずれもサル学の人たち。
岡潔、藤原正彦などの数学者もいる。

海外では、ぼくが知っているだけでも、E.T.ベルやサイモン・シン、アミール.D.アクゼル、コンラート・ローレンツ、チャールズ・サイフェ、リチャード・ドーキンスなど、数多くの科学者兼文学者がいる。

「要するに科学の基礎には広い意味における「物の見方と考え方」のいろいろな抽象的な典型が控えている。これは科学的対象以外のものに対しても適用されうるものであり、また実際にも使用されているものである。それを科学がわれわれに思い出させることは決して珍しくも不思議でもないのである。もとよりそういう見方や考え方が唯一のものであるというわけでは決してないのであるが、そういう見方考え方が有益である場合はまた非常に多くてしかも一般世人がそれを見のがしていることもはなはだ多いように思われる。」

そういった人たちの考え方に触れて、触発されるものは多い。
それは、決して直接何かの役に立つものではないことがほとんどだ。
でも、すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなるということも、人生の知恵としてある。
だからこそ、そういったすぐれた科学者の考え方や、世の中の見方を知ることは、大事なことだと思う。

時代は進み、寺田寅彦の予想は実現され、さらに先に進んでいる。
たくさんのポピュラー・サイエンスの本が出版され、読まれるようになった。

しかし、彼の予想になかったのは、教育がその方向に行かなかったことだ。
彼が今の「理科離れ」という状況を聞いたら、さぞかし残念がるのではないかと思う。

もったいない…。

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