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2010.07.24 Saturday
ひきこもり
今朝の朝刊に全国のひきこもりの人数は、推定で70万人と出ていた。
予備軍が155万人とのこと。 一番多いのは30代。 たしか、自殺が死亡原因のトップになっているのも30代だ(若いから、他の原因が少ないということも、もちろんある)。 ひきこもりになったきっかけを尋ねているが、仕事や就職活動がきっかけという人が半分近くいる。 まあ、尋ねられたから答えた、という人もいるだろうから、実際にはもっと少ないと思う。 しかし、原因が仕事や就職活動、というのが気にかかる。 学校を卒業し、社会に出る。 そこが障壁になっている。 その時までと、それから後が大きく違うから、壁に当たるのだろう。 一体何が違うのか。 今の学校教育は型にはめるのを嫌がる。 ナンバーワンよりオンリーワンとか、個性を伸ばすとか…。 しかし、教育の目的はある意味で「型にはめる」事にあると思う。 社会に出る、ということは、オトナになる、ということであり、一人前になるということでもある。 一人で生きていくためには、ルールがある。 社会のルールだ。それが「型」だろう。 一定の年になったら、働くこと、これが「型」だ。 笑顔で挨拶をする、これも「型」だ。 上の人の言うことを聞く、これも「型」だ。 ぼくらは、それが前提であり、当然だった。 何でもいい、とにかく働くことが必要であり、それがオトナになることだった。 今はその「型」がない。 「型」がないことが、素晴らしいとさえ言う時がある。 そのうえ、学校では表面上、すべて平等だと教えられる。 かけっこはタイムを計って、あまり差がつかないようにする。 相対評価はダメで絶対評価だ。 現実離れした平等の中で育つ。 受験は一部残っているが、全入化でほとんどなくなった。 進路の先生の情報を聞いて、学校を決めて、進学する。 試験を受けて入る学生は50%。 残りは推薦やAO入試だ。 大学も経営のために取らざるを得ない。 だから、就職の時が最初の壁になる。 大多数の学生には、それまでの人生に壁がなかったのだ。 おまけに、平等という概念が肥大しており、それが裏切られる。 世の中は結果的に平等ではない。 機会はできるだけ平等にしようとしているが、結果は不平等なものだ。 それを理不尽だととってしまう。 だから、引きこもるのだろう。 就職の時には、最低限の「型」にはまる人間かどうか、という観点で見る部分が絶対にある。 個性はもちろん重要だが、それは、よほどの能力を含んだ個性でなければならない。 もちろん、時代も不幸だ。 マジメにコツコツだけでは評価されない。 彼らが悪いわけではないのに…。 今日の朝刊を見て、そんなことを思う。 |
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