考えたこと2

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小学校の英語教育
来年から小学校での英語が必修化されるらしい。
かなり賛否両論があったと思うのだが、なぜそれが決まったのだろうか。
まあ、経緯はどうでもいいが、わざわざ必修化するのはなぜだろう。
たった、週1時間で英語ができるわけがない。
まず、日本語をやらないで英語をするというのがいただけない。

英語の能力は、日本語の能力と関係がある。
特に英作文など、日本語の表現を英語風に考え直し、それを英語化する。
それでなくても、少ない時間数で英語をやってどうするのか。
藤原正彦がまず国語教育、と言っていたではないか。

この英語教育の話が出るたびに思うのだが、いったい何のために英語を教育するのだろう。

新聞によると、「最終レッスンでは「I want to be a teacher.」などと自分の表現で将来の夢を語れるようにする」とのこと。

6年生でI want to be a teacherと言えることに何の意味があるのだろう。
それよりも国語をやった方がイイと思う。
今の小学校の先生に、英語を教えるのはムリだろう。

何でもそうだが、入門をやるのはもっともエライ先生だ。
今から習うことの面白さ、楽しさを伝えることができるからだ。
しかし、それは今の教育制度では難しい。

英語は他の教科とは違う。
なぜそれをやるかが、わからない。
国語や社会や算数や理科はまだ生活とつながっているが、英語はつながっていないからだ。

それと、大人になって思うのだが、英語で話せることよりも、英語で伝えたいことを持つ方が大事だと思う。
そもそも、意味のある伝えたいことを持たず、話す目的があるのか。
挨拶や世間話のために英語をやっているのではないだろう。

海外の人に自国の文化を伝えるとか、習慣を説明するとか、興味のあることを聞くとか、仕事の事を話すとか…。

それを持つためにも、まず日本語だ。

今、一番欠けているのは、英語で話すこと以前に、話したいことを持つ力だと思う。


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