考えたこと2

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天賦の才
「天賦」というと、天が与えたものという意味。

「天賦の才」は、天が与えた才能ということになる。

落研では、新入生は必ず誰かの弟子となって、系図上の位置が決まる。
その時、弟子がいなかったとか、偶然部室にいたとか、そんな理由で決まる。
弟子が師匠を選べるわけではなく、入部したら決まってしまうという関係。
それでも、師匠は師匠である。

ぼくの師匠は落語がうまかった。
天賦の才というほど大げさなものではないが、生まれついての良さがあるように見えた。(もちろん、師匠は練習も熱心だったのだが…)

顔も良かったが、ぼくは師匠の「声」がうらやましかった。

いい声だった。
美声というわけではないが、キーが高めで、よく通る声だ。
そして、微妙な「かすれ具合」がよかったと思う。
落語ではよく使われる、「かすれ声」。音をのばしたときに、微妙にかすれる声だ。
噺の中では、一人で何人かを演じ分ける時に、上下(かみしも)だけでなく目線や表情を変えるのだが、一番大事なのは口調とそれに合った声だと思う。
その使い方がうまかった。

「声」は努力ではどうにもならない部分がある。

今でも、自分がやった落語のテープを聞くと、声が悪いなあと思う。

これは、生まれついてのものだろう…。
もちろん、努力でいくらでもカバーできるものだし、自分が受けなかった理由をそれにするつもりはない。
でも、いい声の人はうらやましい。

海辺で大声を出して、一度声を潰してしまうというような修行をするという話を聞くが、本当だろうか…?

それは、「天賦」を越える…という一つの方法なのかもしれない。

今でも、よく通る声の人を見ると、うらやましい。

別に落語をするわけではないのだが、それは本当に「天賦の才」だと思う。




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