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2007.01.14 Sunday
遺伝子の指示か?
何気ないことで、好みがある。
みんなで食事に行った時に、自分の頼んだものを人とシェアするのがいやだ。 自分の頼んだものは、自分で食べたい…と思う。 たとえ人が頼んだものがおいしそうであっても、それは次に頼めばよいと思う。 自分の分は、自分で…と思ってしまう。 もちろん、せっかくみんなで来たのだから、分け合おうという気持ちはわかる。 それでも、何となくイヤなものはイヤなのだ。 不思議なことに、2人の子供は、一人は僕と同じようにシェアするのはイヤみたいだが、一人は逆である。 別に教えたわけでもなく、非交換主義と交換主義というような一般的な規則があるわけでもない。 それでも、2人が違うのはなぜなんだろうか。 生物学の世界では、生き物は遺伝子を運んでいるのだ、という考え方がある。 人間でいえば、僕らが生きているのではなくて、遺伝子が自身を残そうとして、僕らは生かされているということになる。 遺伝子の意志で生かされている…という事らしい。 自分の遺伝子さえ残れば、それでいいのだ。遺伝子は利己的である。それが種の保存につながる…。 猿の子殺しなどの行為は、そんな理屈で説明されるようだ。 たしかに、自分という生命体を作る上での情報は、二重のらせん状に塩基が並んでいる遺伝子に全て書かれている。 それなら、食事に行った時に、人のものとシェアするのが好きかどうかということも遺伝子が決めているということになる…。 食事をシェアすることについて、親からしつけられたわけでもないし、ただ、何となく…という気持ちがあるだけなのだ。 何がその気持ちを作りだしているのか…、本気でリクツで説明しようとすると最後は遺伝子に行くのかもしれない。 脳や遺伝子についての研究が進めば、そんな好みにもリクツがつくのだろうか。 リクツがつくことに意味を見出すのかどうかは…、これも好みの問題かな。 そういう研究を好んでするかどうか、ということさえ、遺伝子が決めているのかもしれない。 遺伝子操作で、食事をシェアするかどうかの好みを変えられるとしたら…。 あんまり楽しくない未来ですよね。 |
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