考えたこと2

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和田教授の意見
プレジデントオンラインに、精神科医でもある和田秀樹教授がコロナの記事を書いている。
この人は、主に医学界の古い体質に対しても苦言を呈していた人だ。

まずはコロナ陽性者に対する死者数が0.1〜0.2%であり、「季節性インフルと同程度」ということ。
感染者数は膨大であり、重傷者数も過去最高。しかし、死者は増えているというものの5月のピークの1/10程度だからだ。

ベッドが足りないというのも、感染症法上のコロナの扱いのため。現状は実質的にエボラ出血熱並の「1類」の扱いで、最大級の警戒レベルになっている。
ワクチンの摂取も進み、感染しても重症化する危険がはるかに低くなったから、この「1類」を見直すべき。
そもそも感染症法上の分類は医療従事者や入院患者への感染と、それによる死亡などに対して対応するものであり、季節性インフルエンザが「5類」で年間3000〜6000人が亡くなっており、コロナ同様に人工呼吸器を使うこともあるのだから、コロナも「5類」に引き下げれば、少なくとも病床不足の問題は解決するという。
保健所の負担がなくなり、患者を一般の開業医で引き受けられ、通常の病棟に入院できるようになるからだ。
まさに、正論だと思う。

それよりも、和田教授が指摘しているのは「ワクチンの接種後の死亡」の原因究明をきちんとやっていない、ということ。
これこそ専門家会議の仕事だろう、というわけだ。

長くなるが、引用すると、

「私がここで問題にしたいのは、専門家会議がワクチンの接種を進めながら、相変わらず自粛、人流抑制などの旧来型の規制ばかりを訴え、病床逼迫への対策や市民生活の緩和などに対する建設的な提言をほとんど行っていないことだ。」

「実は、ワクチン接種後の死亡に対して、きちんと原因究明を行っているように思えないのだ。ワクチン接種でファイザーは4割、モデルナでは8割もの人が熱発している。それだけでなく7月30日現在、ワクチン接種後の死亡は900人を超えた(7月26日から30日の5日間だけで84人が亡くなっている。これは同じ時期のコロナ死者数より多い)が、一例としてワクチン接種との因果関係が否定できないという評価をしておらず(海外で問題になっている血小板減少がらみの出血死のケースですらそういう評価になっていない)、3例で因果関係が否定されているが、それ以外のすべてのケースが「情報不足等によりワクチンと死亡との因果関係が評価できないもの」とされている。

ワクチン分科会副反応検討部会が開かれるたびにこの数が増えている。「情報不足」ならもっと情報を集めるべきなのに、それをした形跡がないままに「因果関係が評価できない」死亡例が積みあがっている。

本当に人の命が大切なら、当然“ワクチン死”に対しても真剣に向き合い原因の究明をすべきだが、ろくに検討もせずに「因果関係が評価できない」で放置されているのは看過できない。20代の場合、2回接種をした人は現状まだ1割前後だが、すでに4人も亡くなっている。接種を拒む若い世代が多いのも無理はないのだ。」

和田教授は日本の政策ブレーンの選び方に問題があると言っている。
「昔の実績」が反映された肩書が大きな影響を与えて、メンバーが決まったと思われるが、彼らの頭は古い。
尾身会長は20年以上前に実績を上げたが、それ以降は実績がない。

そういえば、専門家会議は定性的なことばかり言っており、定量的なものがない。
1年以上かかっても、病床の問題は一つも解決せず、相変わらず飲食店や密などの話ばかり。
大外れの西浦教授のシミュレーションはあったが…。

日本によくある過去の実績だけで今もやっている、というパターン。
まさに「昔の名前で出ています」だ。
ノーベル賞受賞者が畑違いの事にまで口をだすのも悪習だという。

「いい加減、過去の実績はすごいがとても現役の研究者と言えないような人や東大のような一流とされる大学の教授(これだって、教授になってからは雑務に追われてほとんど自分では研究をしない人が多い)を政策ブレーンにするのをやめて、現役の研究者や臨床医、あるいはビジネスパーソンを重用しないと、海外と比べていろいろな点でますます遅れをとるだろう。

海外がバリバリの現役選手のチームなのに、こちらは引退して20年以上たつ元名選手の評論家のチームで戦っているようなものだ。」

専門家会議や医師会の発言を見ていると、本当にそう思う。
今ではほとんど死語になったと思うが、昔はロートルという言葉があった。
ぼくも今回調べてみて驚いたのだが、これはもとは中国語。
中国語では「老人」という意味だが、ぼくらが使っていた意味は「旬を過ぎた、役に立たない人や物」になる。

若い頃、「あの人はもうロートルだから、早く引っ込んでほしい」などと使っていた。

そういう意味では今の日本は高齢化も手伝って、ロートルの天下なのかもしれない。
早く第一線からロートルを排除しないといけないと思う。

ぼくもロートルの一人なのだが…。








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