考えたこと2

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「忘れない」だけ?
3月11日は東北大震災の日。
朝からニュースは「震災を忘れない」の一点張りだった。
新聞もそういうスタンス。
原爆の日のことも書いた覚えがあるが、マスコミの「…を忘れない」というキャンペーンはちょっと胡散臭いと思う。
もちろん阪神大震災も同じ。
今になっても「忘れない」と言っている。

宮城県女川町に「蒲鉾本舗高政」という会社があるらしい。
そこの社長は、「震災の時に冷凍庫にあった2万個のかまぼこを無料配布し、人々の命を救ったことが話題になった」とのこと。
エライ人だと思う。

その社長がツイッターで、3.11でつぶやいたことが話題になっている。
ツイート内容はこんなもの。

「3.11に向けて毎年2-3月はたくさん取材依頼が来るが、今年は8割以上お断りした。
まだまだ道半ば系、震災を忘れないで系、困ってます系、こんなはずでは系。
「女川で私はそう思って無いです。取材受けてもいいけど、勝手な構成にしないでね。ナレーションでどうにかするのも無」
大体いなくなる(・ε・」

「それと、局の報道部じゃなく外注に多いかなあ。
「親が死んでいてこういうことやっている女子高生(女子中学生)いませんか?」
「3.11関連なんですが、何かネタ無いですか?」
てのも無くならない。
知っててもあなたに教えるわけないじゃない( ͡° ͜ʖ ͡°)」

「忘れていいですよ。
教訓を残して、システムやインフラを整備すれば。
意識していない時に災害が起きてパニックになるのは当たり前。
その時にキチンと機能するものが無ければ、「忘れていない!」人も結局亡くなります。」

「僕らが何をしたかではなく、彼らが何を伝えたいか。
それが本質なのだと思います。
前者と後者が完全に一致するとは限らない。
これはメディア批判ではなく、本質論。」

ぼくが最近災害の後の報道で、違和感があるのはまさにそういうことだ。
災害でなくなった人や、財産を失った人は本当に気の毒だと思う。
その人たちのことをどうこう言っているのではない。

マスコミが災害を「ネタ」にして、単純なお涙頂戴とか、何でも批判とか、そんな方向にいっていることに違和感を感じるのだ。
だからこそ、この社長も「まだまだ道半ば系、震災を忘れないで系、困ってます系、こんなはずでは系」などを断っているんだと思う。
実際に被災地でそんな事を思っているのは、非常に少数派であったとしても、マスコミはそこに群がって取材する。
そうではない、という主張をしても、勝手に構成を変えてナレーションを入れてしまう。
そんなことが違和感の元だと思う。

実際、阪神大震災のとき、1月に震災が起こったがその後オウムの地下鉄サリン事件が起こり、震災の報道は大幅に減った。
当然サリン事件のインパクトは大きく、ニュースソースとしても上だった。
連日連夜、オウムのサティアンが映り、上祐が登場した。

結局マスコミにとっては、災害は単なるニュースソースの一つなのだと思う。

ある意味、今は平和な時代なのだろう。
民放の収益が悪化し、予算が削られ、TV番組が外注化され、安易な番組作りに走っているのもある。
震災は大変だった、今でもこんな人がいる、というような報道なら、どこからも文句が来ない。
最初からストーリーありきなのだろう。

この社長は、勇気を持って発言したのだと思う。

実際、単に「忘れない」ということに、感傷以上の重みはない。
実体験もしていない人を「語り部」にして何の価値があるのだろうか。

それよりも、この社長が言うように、「教訓を残して、システムやインフラを整備」することのほうが、どれだけ大事か、ということだ。
それらを検証するのが、マスコミの役割の大事なところだろう。

「忘れるために、災害が起こっても大丈夫なように教訓やシステムやインフラを整備する」ということだ。

異論はあるかもしれないが、そっちが正論だと思う。
人は忘れるものだし、忘れることでしか癒せないこともある。

リスクはゼロにはできない。
阪神大震災の時にも思ったが、人間の力ではどうしようもない事もある。
肝心なのは、少しでもそれらの被害を小さくすることだ。

南海トラフ地震は、いつかは起こる。
しかし、それが起こる前からハザードマップを見て、引っ越しする人はほとんどいない。
人間はそういう生き物なのだ。
災害の時間軸と、人間の生活の時間軸は違いすぎる。

それが阪神大震災のときの、ぼくの教訓。




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