考えたこと2

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文章が書けますか
こないだ、読売新聞の朝刊で「大学の実力」という特集をやっていたが、その第一面は「文章が書けますか」という見出しだった。
どこかの大学の初年時演習か何かの取り組みが書いてあったと思う。

下位の大学のキャリア関係の部署で、苦労しているのが履歴書やエントリーシートの提出の支援。
キャリアセンターでは、よくない書き方やそれを修正してこのように書くというようなやり方、文例などを示して、学生が自分で書けるようにしているのだが、驚くほど書けない学生が多い。
上位大学では、「添削はしない」という方針のところもあり、それでやっていけるということは、やはり偏差値と文章力は比例関係にあるのだろう。

当時ぼくが一番驚いたのは、アパレル関係に就職したい学生で、各々のブランドに対して自分の意見を持っており、企業の出店方針や狙いなどもよく理解している学生だった。
話を聞いていても、なるほど、と思うような内容を話し、志望理由のところにもそのまま書いたらいいと思えた。
「今話したことをそのまま書いたらええやん」と言うと、「そんなん書かれへん」という。
その学生の中では、話すことと書くことは別になっていた。

流暢に話し、見事な業界研究、企業研究だと思うのだが、それが文字にできない。
仕方がないので、もう一度話してもらって、それをまとめて文章にする。
書いたものを見せて、「これは君が話したことを書いただけや」と言うが、学生はまるで何かすごいことのように言う。
ここで初めて、本当に話すことと書くことがつながっていないとわかる。

不思議な現象である。
話せば、よく研究したなあ、とわかるのに、それが文章にできない。
こんなことがあるのか、とその時初めてわかった。

文章にする、という行為はいったい何をやっているのだろうか。
どこにハードルがあるのだろうか。
確かに話し言葉と書き言葉は違う。
会話をそのまま書いているわけではないから、聞いた内容を書き言葉に変換しているのは事実。

「A社はターゲットが若い子やネン。だから派手で値段は安ないと売れヘン。でも私が行きたいB社は狙いがオバサンやから、デザインはわりと落ちついてて、素材も凝ってて、それでもきっと儲けが大きいネン。これから年寄増えるやろ、だからB社の方がエエと思うネン。」
「貴社は他社に比べて比較的落ちついたデザインで、素材の良さを生かした利益率の高いラインナップを持たれており、将来性があると思います。」

たしかに、書いたらだいぶ違うとは思う。
語彙が足りないのは事実。
書き言葉の語彙がないと、書けない。

今の若い人たちは書く習慣はあると思う。
メールやSNSが通信手段になっているからだ。
短文が多いが…。

ちゃんと書かれたものを読む習慣が減っているのかもしれない。
作文の時間というのはまだあるんだろうか。

記述式の試験をするところが減ったのもあるだろう。
それは大学の責任だが…。

もっと小中高で文章力をつけないといけない。
そうしないと、就職できなくなる。

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