考えたこと2

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今年の文化祭
今年の次男の文化祭は、仮設校舎。

学校の建て替えで、2年間そういう状態が続く。
ウチの次男はその学年にあたり、仮設校舎で2年暮らして、卒業。
新しい校舎に入ることはできない。
不運な学年といえば、そうだろう。

しかし、そういう状況の中で自分たちが楽しみ、お客さんも楽しませるということを考えられる学年でもある。

今年も古本市に行った。
さすがに本は少なかったが、中にいいのが一冊あったので購入。
ハードカバーで200円だった。

狭くなったので、模擬店も少ない。
焼きそばの店には長蛇の列ができていた。
それでも、みんな生き生きとして頑張っていた。

次男が出演するライブを見に行ったら、最初は客が少なかったが、最後はかなり生徒が集まってきていた。
ぼくには何の曲かわからないが、とにかくやたらうるい音楽だった。
まあ、あんなのもアリだろう。

その学校の校訓(というのかどうかはわからない)は、Man for othersという。

彼らの学年はMan for othersを地でいくことになる。
自分たちは、仮設校舎で、新しい人たちは新校舎。
2年間の仮設暮らしを経て、卒業。
そんな経験はなかなかできない。
それだから、損をしたということもない。

卒業式のときに、みんなはどう思うのだろうか。

Man for others.

有名なMITが授業内容をインターネットで公開するとき、いったい学校とはなにか?という議論があったという。

授業内容であろうか…、それはNoだ。

MITという場所に、MITの先生とMITの生徒が集まっている、そのことが学校の値打ちだという。
授業内容など、公開して使ってもらおう、というのが結論。

その場所に、その先生とその生徒が集う…、これが学校の価値。
建物は二の次なのだ。
もちろん、そこに集う先生と生徒は志を持っていないといけない。
それがMan for others。

あと1年半、そのことに気づく先生や生徒がどれくらいいいるのだろう。

明日もまた文化祭に行く。


| | 考えたこと | 17:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
口の形
日本語と英語の話者では口の形が異なる。

話す言葉で口の形が変わるというべきか。

ジュリア・ロバーツのような口が、代表的な英語話者の口だと思う。
横に広いのだ。
確かに、横に口を広げるようにすると、thやerの発音がやりやすい。
そういう発音をしているから、そういう形の口になる。

日本語には日本語に適した口の形があるのだろう。
そう思ってみると、日本人の口はあまり横に広がっていない。

口というのは、横に広がると、必然的に口角が上がって笑顔になる。
英語話者は愛想がよく見えるのは、そういうことか。(必ずしもそうではないが…。)

あの、黄色いスマイルマークの口がちょうど英語の口だ。

そういえば、海外駐在の帰国子女が日本の学校で、気持ち悪いといわれるという話を聞いたことがある。
それはなんとなく表情が違うということもあるのだろう。
どうしても、英語を話していると、口が横に広がるのだ。

えらいものである。
小さいころから話す言葉で、口の形が変わる。
口の形は、後天的な資質であると言える。

以前にも書いたが、小学校で英語の発音を教えるという話。
所詮、一週間に1回の授業で何ができるのか。
それほど英語に慣れることが大事なのだろうか。
きれいな英語の発音をしようとすると、口の形が変わるほどしないといけない。

挨拶やつなぎ言葉、wellやyou knowというようなものをいくら覚えても、あまり意味があるとは思えない。
これから英語が必要なことはわかっているのだが、小学校でやるのは無理があると思う。

そういう意味で、ぼくは藤原正彦派である。
国語、国語、国語でいいのだと思う。
英語を話す力はちょっとでよい。
話す内容がなければ、話しても仕方ないと思う。
だから、国語、国語、国語なのだ。

ただ、そういう国語を教えられる先生が少なくなってきているのも事実。

うさぎおいしあの山、という故郷の歌詞。
ほとんどの人が、ウサギがおいしいという意味だと勘違いする。
でも、大人になって、ああ、あれはウサギを追いかけるという意味だったんだ、と気づく。
極論すれば、わからなくてもよい。
そういう言葉の大切さを教えられる人がいたらいいと思う。

もちろん、ぼくが無茶を言っているのはわかっている。
先生方は一生懸命やっているし、時間がない、余裕もない、というだろう。

それでも…、とぼくは思う。

| | 考えたこと | 01:25 | comments(0) | trackbacks(0) |