考えたこと2

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息子と娘
病院で見ていると、息子は冷たく、娘は暖かく見える。

うちは息子二人だが、病院で見ていて、自分のことを振り返っても、やっぱり息子というのは冷たいものだと思う。
別に冷たくしようとして、冷たくするわけではない。
暖かくしようとするのだが、やり方がわからないのだ。

見ていると、娘はご飯も食べさせてくれるし、いろいろ細かい気遣いができる。
息子はみているだけ。
特に、父親と息子はそういうものだ。

親も頼らないし、子も頼られようとはしない。

「ほな、帰るで」
「ああ」

というような会話。

これが娘なら、ちょっと違う。

「お父さん、もう帰るわね。ちゃんと毛布かけて寝てよ」
「ああ、わかった。お前も気いつけて帰れよ」

という具合。

そんな違いは、どうしてもある。

親子の情は変わらないと思う。
しかし、息子には息子の役割が、娘には娘の役割がある。

息子はあまり小さなことに気をつけたりしない。
死んだあとのことを、考えてしまう。
この年やから、葬式はどこで、香典は辞退して、祖供養はどうして…。

でも、娘は違う。
死んだあとのことなど、考えない。
とにかく、死の瞬間まで生きていてほしいと願う。

そんな気がする。

ぼくは娘もいないし、娘になったことがないので、そう思うのだが…。

病院に1週間いると、いろんなことを考える。


| | 考えたこと | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間模様
先々週から検査入院していた。

病院の大部屋にいると、いろんな人間模様がある。

ぼくのとなりのおじいさんは、目が開いているが、全盲だった。
おそらく、年をとってから、目を悪くしたのではないか。
色のことを言っていたから、先天的なものではない。

そのおじいさんは、前にもこの病院に入院していたことがあるらしく、看護婦さんの声で名前を当てていた。
外れたときは、誰々さんはまだおるか?と聞いて話をする。

きっと話を聞かされる看護婦さんは、忙しいので、次の用事をしたいのだろう。

それでも、お構いなしにおじいさんは話す。
以前入院していたときには、面白い話を聞かせてあげたという。
西宮のえべっさんはなぜ今のところにあるかという話。

最初に漁師の網に引っかかって、その家に祭られていた。
しかし、漁がピタッと止まったので、えべっさんをここにおいておくのが悪いのだろう、ということになり、もう一度釣った場所に戻しにいった。
戻すときに、えべっさんに、何か不満があったのかと聞くと、もっと多くの人に祭ってほしいという。
そこで、戻すのをやめて、灘に祭った。
そうすると、そこはいい水が出るようになり、宮水という酒の元になった。
そして、もう少し東に祭ってくれということになり、今の場所になったという話。

若い看護婦さんは、へー、そうだったんですかと相槌を打つ。
これこそ、ヒューマンスキルの見せ所。
明るい声で、いくら表情が見えないといっても、笑顔でいう。
数分間にわたって、その話を聞き、一段落したところで、「私、次のところで仕事があるので、失礼しますよ。また、聞かせてくださいね。」という。

これがすごい。

次のところがあるので、失礼します、で終わる人が多い。
でも、この若い看護婦さんは、「また、聞かせてくださいね」と言った。
さすが…、と横で聞いていて感心した。

これぞ人付き合いの極意といってもいいだろう。

いくら笑顔で愛想よく相槌を打っていても、それでは、失礼しますでは50点。

こういう勉強はどこでするのだろうか。
どこで覚えるのだろうか。

そういう教育は大切だと思う。

| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |