![]() |
2008.07.01 Tuesday
年をとる
年をとるのを意識するのは、どんな時だろう。
年齢が増えていくことが年をとることなのだが、それはあくまで物理的な基準でしかない。 20歳、30歳、40歳、50歳と年をとってきたが、20歳から30歳は(今から思えば)そんなに年をとったという意識はなかった。 単に、二十代ではなくなる、という寂しさくらいだった。 40歳はちょっとこたえた。 十代の頃に想像できるのが、30歳くらいまでの自分だったような気がする。 それを越えてしまったという感じ。 自分が40歳のおじさんになるとは、思わなかったという感慨。 でも、結果的にはまだ若い。 50歳は本当に年をとったと思う年齢ではないか。 否応なく意識させられるのは、老眼鏡。 近くの文字が見えない。電車で本が読めない。 ひょっとしたら、もともと眼鏡をかけている人はそうでもないのかもしれない。 ぼくは全く眼鏡をかける習慣がなかったので、本当に不便。 その不便さが年齢を意識させる。 もう一つは、疲れだろう。 身体を使うと、2日後にくる。 何で痛いのか、わからない。 この感覚は、きっと40代の人にはわからないだろう。 最初は、次の日に何ともないので、大丈夫…と思っているだけに、2日目はこたえる。 覚えているはずのことが出てこない。 あれ、あれ…といいつつ、思い出せない。 役者の名前や映画のタイトル、作家の名前や本の題名、昔の友だち…。 そんな些細なことで不便だったり、困ったりすることが、一番年齢を感じさせる。 それが年をとるということかもしれない。 でも、これは自分がまだ51歳だからそう思っているのであって、きっと60歳になったら、50歳など若い若い…と言うのだろう。 今から想像できる。 もうこれからは、坂を下っていくばかり。 いいことも書いておこう。 いやなことは、忘れやすくなった。 何かをあきらめることに寛容になった。 少しは世の中のことがわかってきた。 でも、わからなくてもいいや、とも思えるようになった。 永遠とか、無限とかいう言葉より、そのうちとかぼちぼちとかいう言葉がよくなった。 神さまに親近感が出てきた。 思っていてもできないことの方が多いことがわかった。 人生が有限であることがわかった。 自分がロクでもないやつだとわかった。 年をとったという意識は、いい方にもあるということで、引き分けか。 どれが勝ちで、どれが負けで、どれが引き分けなのか…よくわからないけど。 |
![]() |