考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
年をとる
年をとるのを意識するのは、どんな時だろう。

年齢が増えていくことが年をとることなのだが、それはあくまで物理的な基準でしかない。

20歳、30歳、40歳、50歳と年をとってきたが、20歳から30歳は(今から思えば)そんなに年をとったという意識はなかった。
単に、二十代ではなくなる、という寂しさくらいだった。

40歳はちょっとこたえた。
十代の頃に想像できるのが、30歳くらいまでの自分だったような気がする。
それを越えてしまったという感じ。
自分が40歳のおじさんになるとは、思わなかったという感慨。
でも、結果的にはまだ若い。

50歳は本当に年をとったと思う年齢ではないか。
否応なく意識させられるのは、老眼鏡。
近くの文字が見えない。電車で本が読めない。
ひょっとしたら、もともと眼鏡をかけている人はそうでもないのかもしれない。
ぼくは全く眼鏡をかける習慣がなかったので、本当に不便。
その不便さが年齢を意識させる。

もう一つは、疲れだろう。
身体を使うと、2日後にくる。
何で痛いのか、わからない。
この感覚は、きっと40代の人にはわからないだろう。
最初は、次の日に何ともないので、大丈夫…と思っているだけに、2日目はこたえる。

覚えているはずのことが出てこない。
あれ、あれ…といいつつ、思い出せない。
役者の名前や映画のタイトル、作家の名前や本の題名、昔の友だち…。

そんな些細なことで不便だったり、困ったりすることが、一番年齢を感じさせる。
それが年をとるということかもしれない。


でも、これは自分がまだ51歳だからそう思っているのであって、きっと60歳になったら、50歳など若い若い…と言うのだろう。
今から想像できる。

もうこれからは、坂を下っていくばかり。

いいことも書いておこう。

いやなことは、忘れやすくなった。
何かをあきらめることに寛容になった。
少しは世の中のことがわかってきた。
でも、わからなくてもいいや、とも思えるようになった。
永遠とか、無限とかいう言葉より、そのうちとかぼちぼちとかいう言葉がよくなった。
神さまに親近感が出てきた。
思っていてもできないことの方が多いことがわかった。
人生が有限であることがわかった。
自分がロクでもないやつだとわかった。

年をとったという意識は、いい方にもあるということで、引き分けか。

どれが勝ちで、どれが負けで、どれが引き分けなのか…よくわからないけど。


| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/233568
トラックバック