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2007.10.10 Wednesday
もう一人のオフコース
オフコースというと、2人のバンドというイメージがある。
「さよなら」がヒットした頃には5人のバンドになっていた。 でも、ぼくが一番よく聴いた時期は2人の頃。 小田和正と鈴木康博の2人組だ。 1979年から5人のバンドになったが、2人で作った1973年の「僕の贈りもの」から「ジャンクション」までがオフコースという気がする。 あの頃は2人の唄はほぼ半々でアルバムに入っていた。 たしかに、小田和正の唄はあの頃からメッセージ性のあるものや、せつない恋の唄で、今のすごさを感じさせるものも多かったが、鈴木康博の唄もいい歌が多い。 「でももう花はいらない」「すきま風」「雨よ激しく」「Invitation」「潮の香り」など…。 何より、当時の2人のコーラスがすごかった。 どちらもハイトーンのきれいな声で、アカペラもやっていた。 鈴木のギターは、ウエストコーストという感じだった。時々エレキギターも弾いていたなあ…。 結局、オフコースが解散したのは、オリジナルメンバーの鈴木康博が、小田和正と合わなくなったからだ…と思っている。 当時、鈴木康博は、オフコースを解散して最初に出したLPで、技術的に可能になったコンピューター・プログラミングによる音楽作成の可能性を追求したかった、と言っていた。 オフコースの2人組はめずらしく2人とも理系だが、小田和正は音楽とコンピューターということについては、一貫して否定的だと思う。きっと、彼は音楽は人間がやるもの、と決めていて、コンピューターでプログラミングした音楽など、最初から気にもかけていなかっただろう。それが、天才の判断だ。 でも、鈴木康博は一度やってみたかったんだと思う。新しいことにトライしたい…と思ったのだ。 残念ながら、それはあまり成功しなかったし、結局は彼自身も、今は小田和正以上にアコースティックな音楽をやっている。 ソロになってからの鈴木康博は、商業的にはあまり成功していない。 時々、NHKのBSでやっている、懐かしのフォークソングみたいな番組に出てくることもある。 比べると、やっぱり小田和正はスゴイということだ。 でも、鈴木康博と組んだから、オフコースができたんだし、70年代のオフコースの良さはあの2人にあった。 今でもあの時代のオフコースを聴くと、いいなあと思う。 今年のクリスマスには、鈴木康博を呼んで、一夜だけでも復活してくれないだろうか…。 あのコーラスをもう一度聞きたい。 |
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