![]() |
2007.10.21 Sunday
組織
「組織」というものは人間が集まったら、当たり前のようにできるものだと思っていた。
でも、ある目的を達成するために作られた「近代的組織」というものの歴史はたかだか50年くらいだと有名な経済学者であるドラッカー博士は言う。 ずいぶん前に、渡部昇一の「ドイツ参謀本部」という本を読んだ。 これには、世界に先駆けて近代的な戦争を勝ち抜く知恵を持った、ドイツ参謀本部の歴史が書いてあった。 モルトケという名参謀がドイツで活躍したのが1800年代の後半だが、これを現代的組織のはじまりとしても、150年ちょっとの歴史である。 目的と意志を持ち、それを共有し、実行するために、権限と責任を持たせる…というような近代的組織はきわめて新しいものであり、人間が集まれば自然発生的にできるものではないということだ。 歴史によると、人間が集まって作られた組織は、まずは封建的組織、ということになる。 「エライ人」がいて、その人に従えばよい…という組織である。 そっちの方が圧倒的に歴史が長い。 カタチの上では封建的ではないが、実質的に封建的組織と言ってよいような組織は会社にもあるだろう。 それでも、役所や非営利団体に比べたらマシだと思う。 営利企業は、効率を求めないと潰れるし、大きくなるためには情報公開をしていかざるを得ないからだ。 いい加減なところもあるにせよ、健全性が求められるし、淘汰されていく。 そのためには、近代的にならざるを得ない。 「非営利」ということは何らかのタテマエがあって、そこに何らかの保護がある。 そのタテマエが曲者だ。 いつの間にか、タテマエが風化し、組織が生き残ること自体が組織の目的になってしまう。 いろいろな会社の悪事が表沙汰になるが、それは淘汰されているということであり、ある意味では健全なことだ。 本来、淘汰されるべきところでも、表に出ず残ってしまっているのが、「非営利」の恐ろしさだろう。 ドラッカー博士は、組織の目的の追求と、それに属している個人の幸福は同じ方向になると言っていると思う。 それは、近代的な組織だから…である。 何でも近代的ならいい、とは思わない。 でも、長いことそういう組織で働いてきたぼくにとっては、それは正しいことだと思える。 偏見なのかもしれないが…。 |
![]() |