考えたこと2

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オチケン
昭和40年代には寄席の番組があって、テレビで上方落語が見られた。
六代目の笑福亭松鶴や桂米朝、三代目桂春団治、桂小文枝などが出ていた。

昭和40年代後半には笑福亭仁鶴が出てきて、ブームを起こした。
桂三枝も有名になった。

その頃から、落語研究会というものがいくつかの学校のクラブ活動にできて、略して「落研」というようになった。

こないだ、自己紹介をして、「落研をやってました」というと、「それ何?」という人がいる。
もう若い人の中には、「オチケン」という言葉を知らない人がいる。

大阪にオープンした繁昌亭はすごい集客らしいが、落語をしようという若い人は減って、みんな漫才やコントをめざすようになった。
着物を着て、舞台に一人座って話す、というタイプの芸が難しいのは事実だと思う。
今の笑いの主流は、短い間にいかにテンションを上げるか…というようなところがあって、それにはなじまないだろう。

落語をするよりも、レポーターみたいな仕事をしている落語家も多い。
明石家さんまが元は落語家だということすら知らない人が多いのではないか。
ラジオではやっているが、寄席にでも行かないと、触れる機会もほとんどない。

そんなこんなで、「オチケン」という言葉も通じなくなってきたということだろう。

ぼくらがやっている頃は、落語ブームの終わり頃だったが、それでも部員みんなで100円のチケットを売って、200〜300人の集客ができた。
ぼくにはなかったが、ファンクラブができている先輩や後輩もいたなあ…。
毎月やっていた寄席では、近所の常連さんもいて、60人ほどの会場に20人以上は来てくれていたと思う。

それでも、ぼくらの代に、春秋二回の寄席の会場を、それまでの大きなホールから、小さめの和室に変えた。
お客さんが減ったし(これは努力が足りなかった面もあるけど)、同じ人数でも小さめの和室ならウケるからだ。

その後、ずっとその会場で続けているようだが、部員も減ったようだし、部員ゼロの学年もあるようだ。
何度も存続の危機を乗り越えて、ようやく生きているという感じかな。
だから、「オチケン」という言葉が通じなくなるのもムリはない。

寂しい気はするが、それはそれでしかたがない。
やって、ウケたら、楽しいということを経験できたのは幸せだったと思う。

これからまた、落語研究会が隆盛を極める時期が来るのだろうか?
残念ながら、そうは思えない。
芸として、プロは生き残っていくだろうが…。

やるからには、笑いを取りたいし、そのためには落語は敷居が高くなった。
話しはじめて1分間で笑いがなければアウトという短期決戦の時代に、エンジンをかけるのにそれくらいの時間がかかる、という話芸は難しいだろう。
プロなら、最初からいけるのだが、アマチュアは難しい。
エンジンがかかってしまえば、面白くなってくるのだが、そこまで待てない。

笑いもファストフードの時代になっているからだ。

それらを突き破る、アマチュアでも勝負ができる新しいタイプの落語が出てくれば、また「オチケン」も復活できるかもしれない。

でも、それは「落語」の範疇に入るものだろうか…。

それでも、現役の部員たちにはがんばってほしいと思う。



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