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2014.07.15 Tuesday
クルマ文化
ケーブルテレビで、ナショナル・ジオグラフィックとか、ディスカバリー・チャンネルとかの海外の番組を見ることができる。
そこでいくつかクルマの番組をやっているのだが、欧米の番組はとにかく古いクルマが好きだ。 もちろん新車の番組もある。 でも、古いクルマを発掘して、リストアし、蘇らせるという番組も多い。 クルマへの愛着と歴史を感じる。 ぼくは知らなかったが、たくさんの車両メーカーが過去にあったらしい。 そんなクルマも時々出てくる。 日本にもクルマの番組はあるが、たいがいが新車の紹介だ。 古い車を扱うものは見たことがない。 常に新しいものを追いかけるという日本人の好みはわかるが、一方でクルマの文化の違いも感じる。 文化というのは、時間の連続性だろう。 今があるのは、過去があるからだ。 過去から今までの積み重ねが文化になる。 だから、クルマ文化というものがあるとすれば、時に古い車のことにも思いをはせるのが自然だろう。 まさに、そういう番組が欧米には多い。 1890年にダイムラー社が作られて以降、モータリゼーションが始まった。 1900年代に入って、T型フォードが大量生産され、本格的な自動車の時代が始まって、1世紀以上が経った。 日本では戦後になって本格的なモータリゼーションが始まったのだから、歴史の長さが倍ほど違う。 それが、文化の違いになっているのかもしれない。 ぼくは小学校の頃からプラモデルを作るのが好きだったし、メカというものに対するあこがれもあった。 スバル360やパブリカもよく覚えている。 自動車に対する夢や希望があったと思う。 新しい技術が出ると、ワクワクした。 まして、その日本の技術が世界を相手に勝つところまでいったから、本当にうれしかった。 商業的に成功したという事の裏には、技術的な成功があったからだ。 でも、その裏には、常に新しいものをという気持ちもあったのかもしれない。 急いで走っていた感じがする。 これから、そういうクルマ文化が日本でも育っていくんだろうか。 残念ながらそうは思わない。 クルマというのを単なるモノだと思っているからだ。 もちろん、クルマはモノなのだが、モノ以上になることもある。 そんな思いが足りないような気がする。 日本人は方丈記の時代から、「形のあるものは滅んでいく存在」だと思っているからなあ。 |
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