考えたこと2

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正義と微笑
太宰治名言という表題で、Xでタイムラインに表示された。
「正義と微笑」という日記小説。

高校時代に太宰治が好きで、文庫本は全部読んだ。
捨てた記憶がないので、家のどこかにあるはずだが、見つからない。
何となく、題名だけは記憶にあるが、さすがに50年前の記憶は蘇らない。

大学に入ってすぐに生協で当時の文学者の全集のセールがあった。
とても安かったのだが、それは旧仮名遣いの本だったせいだった。
旧仮名遣いのほうが、情緒があると思って買った。

仮名遣いはいいのだが、読めない漢字が多く、結局ほとんど読まないまま本棚に鎮座している。

その「正義と微笑」はXで以前も話題になったことがあるらしい。
太宰の本など、結局大学に入ってからは読めなくなった。
何となく、読む気にならなかった。

母も、太宰は若いときにしか読めない、というようなことを言っていた。
熱病のようなものなのだろう。

Xのタイムラインで流れていた「正義と微笑」の一節は、こんなものだ。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも科学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接に役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのはカルチベーㇳされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かららずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」

太宰治は、津軽出身の金持ちの息子で、いろんな人に迷惑をかけ、文学賞が欲しいと先輩にねだったり、金を借りたりした、ろくでもない人間だったが、こういう文章が書ける才能があった人だ。
生粋のロマンチストだったと思う。

今でも若者の心をつかめる。
そういう作家だったと思う。

桜桃忌には今でも沢山の人が集まるらしい。
誕生日が命日という作家。

私小説はつまらない(でも若いときは、すごいと思った)が、こういう小説はまだまだファンがいるのだろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |