考えたこと2

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教育現場の困惑
今日もマスクオフで通勤、勤務先以外ではマスクオフで過ごした。
バスの中でもマスクオフでいたが、どうということもなかったが、乗っている学生がみんなマスクをしている。
どういうことなんだろうか。

そういえば、教育現場で「マスクは個人の判断」と言われて困っているという記事を思い出した。

記事の中で、卒業式のこともあり、3月13日から「マスクの着脱は自主性に任せる」ということを政府が打ち出したら、学校が困ったということを書いている。

要は「政府に決めてもらわなければ困る」ということで、「現在の学校の教員たちが「自分で責任を取ることのできない人々」で「他人に決めてもらわなければ何もできない」ということ」なのだ。

教育現場は生徒が自主的に判断されると困ることがあるのだろうか。
生徒の自主性を重んじるのなら、何も困ることはない。
君たちの自由にしなさい、と言えばいい。

それが言えないのはなぜなんだろう。
何でも一律にやらないといけないと言うことだろうか。
それこそ、学校が最も嫌ってきた画一的な教育であり、「生きる力」や「考える力」をつけているとは到底言えない。

記事ではこう書かれている。

「「つまり「マスクを取りたい」という人々も「コロナが怖い」という人も、どちらに対しても対処することができず「政府の指針に従っています」ということだけで済ませよう、もっと言えば政府に責任を転嫁しようということを考えているということにほかなりません。

よく、「一億総評論家」と言われますが、まさに「無責任な評論家になってしまった学校の教員たち」の姿が目に浮かびます。

このニュースを見て、「世の中の親たちは、このような、マスクの着脱一つ、卒業式における対応一つ決められない人々に子供の教育を任せていることに心配はないのか」というような気がします。

私ならば「決められない人、自分で考えることのできない人に、自分の子供の教育などは任せられない」と思い、強く苦情を言うことになるでしょう。

それほど「いいかげんな対応」であり、目の前にいる子供たちに責任を負っていないということに他ならないのではないか。」

そんなことをやっているから、教員のなり手がなくなるのだ。

仕事の帰りに小学生が下校するのをみたが、みんなマスクをしていた。
みんな自分で考えてマスクをしているんだろうか…。

これも「専門家」がマスクを煽ったから、こういう事になったのだろう。
記事ではこう締めくくられている。

「皆さんは、自分の卒業式で、マスクをした顔を覚えられたいですか?」


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |