考えたこと2

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拓郎の引退
吉田拓郎がラストアルバムを出した。
彼ももう76歳。
いつの間にか、Abexに移籍していた。
昔は小室等らと作ったフォーライフレコードというレーベルだった。

「ah〜面白かった」というアルバム。
これも最後ということで、なんとなく買ってしまった。
昨日届いてDVDを見たが、年をとったとはいえ現役として活動していただけあって、年齢の割には若い。
それでも、ライブで声が出にくくなって、歌える間に辞めるという決断をした。

最後のアルバムは9曲。
今月アルバムを出した小田和正、山下達郎がすでに発表済みの曲を入れたアルバムを出したのに対して、吉田拓郎は小田和正とコラボした「雪」の1曲を除いてすべて新曲。
意地を見せたという感じ。

2003年に肺がん、2014年には咽頭がんで、大きな病気を2つも乗り越えて生きている。
大したものだ。
命のありがたみを感じたのだろう。

吉田拓郎は1970年にデビューした。
万博の年だったか…。

広島フォーク村から出てきた時は、反体制というイメージが強かった。
「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というフレーズに、ぼくらは心を動かされた世代。
「イメージの詩」だ。
この頃はまだマイナーな存在だった。

ブレイクしたのは「結婚しようよ」だったと思う。
「ぼくの髪が肩まで伸びて君と同じになったら」という歌詞。
この頃は普通の男性も、髪を伸ばしていた。

でも、ぼくが吉田拓郎をよく聞いていたのは「結婚しようよ」までだ。
持っているアルバムはLPレコードの「人間なんて」の1枚。

フォークソングの流れから拓郎のファンになった人は、たいがいこのあたりでもう終わっているのではないかと思う。
その後歌謡曲(と言ったら怒られるかもしれないが)の世界に入って、聞くのをやめた。
やっぱり、拓郎といえばメッセージソングだった。

最後のアルバムの曲はやけに「愛」が出てくる。
大きな病気をして、それを感じた場面も多かったのだろう。
DVDでも「愛」の話をしていた。

70年当時は、売れたらファンから自己批判を迫られたりした。
コマーシャリズムに走るな、というようなことだ。
そんな時代を乗り越えて、今は76歳。

聞けば、やっぱり拓郎の曲だ。
この人はあんまり変わらなかったんだと思う。

同世代のミュージシャンとはあまり関わらなかった。
自分が古くなりたくないから、常に新しいものを追いかけようということらしい。
唯一の例外は今回思い出づくりのために一緒にやった、小田和正だった。
そういえば、南こうせつなどがよくやっている、思い出のフォークみたいな番組で見たことはない。

それでも、拓郎節は健在だった。

いい終わり方をしたと思う。

お疲れさま。



| hdsnght1957kgkt | 音楽 | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) |