考えたこと2

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定年後
「定年後」という本の著者が書いている記事を見た。
今62歳で、60歳で定年退職後、どこにも属さずに過ごしているとのこと。
ご自分の体験から、定年退職者が普段どのように過ごしているのか、ということを調べて本を書いたようだ。

定年退職した男性が行くところということで、図書館に行ってみたら、午前10時の開館前にすでに何人か並んでいるとのこと。
いずれも60代〜70代の定年退職者と思しき人たち。
まず、新聞のコーナーに行き、一人に一紙で読み始めるとのこと。
光景が目に浮かぶのが情けない。

しかし、これは場所によるらしい。
都心の図書館では、現役の人たちが並んでいたとのこと。
ちょっと意外だったが、東京は若い人たちも多いんだろう。

その他、ショッピングセンターも高齢の男性が目立つ。
女性と違って、一人でぽつんといるのが特徴だ。

スポーツクラブも午前中は高齢者。
これはぼくも知っている。
女性はグループを作って、仲よく3時ごろまで過ごす人を知っているが、男性でも、朝から夕方まで過ごす人もいるとのこと。

定年退職者のスタイルの特徴は、リュックまたはショルダーバッグを肩にかけて、靴はウォーキングシューズか運動靴。
靴が見分けるときのポイントだと書いてある。
帽子も多いとのこと。

ファストフード店も意外と多いらしい。
100円でコーヒーが飲めるからだろう。
外資系のカフェ(スタバ?)などにも多い。
新聞をや本を読んでいたり、株価などをチェックしていたり、パソコンで囲碁をやっていたりする。

とにかく、誰もが一人ぼっちだということだ。
カルチャースクールの講座などでも、男性は一人が多いらしい。
著者も含めて、一人が好きだということもあるにはあるが、現役時代の関係が切れてしまって、仲間がいないということだろう。

何人かに取材しているが、その人たちは「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語り、なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」という言葉もあったらしい。

最後に著者は「定年退職者には、まず何よりも、“他のメンバーのために”何かをやらなければならない義務や役割、すなわち、人との「関係をつくる」作業が求められるのではないか。」と書いていた。

まことにその通りだと思う。

ここに大きなビジネスチャンスがある。
何かをやりたいとか、人間関係を持ちたいとか思っている人たちがいるのだ。
ただ、使いにくいから、なかなか誰も手を出さないのだろう。
でも、この定年退職者を使う仕事をちゃんと考えないといけない。

それこそ、ネットで仕事をその都度マッチングする、というような仕組みもアリだと思うのだが…。


| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
伝えても何も変わらない
コーチングのページを見ていたら、若い人がなかなか上に正直に意見を言わない本当の理由、というようなページがあった。
その1位は「伝えても何も変わらないから」だったという。
ぼくの経験でも、年が離れるほど、若い人は本当のことを言わないような気がする。
若いころはぼくもそうだったのかもしれないが…。
そういう職場は、俗にいう「風通しの悪い職場」ということになる。

もちろん程度問題であり、実際はある程度本音を交えて話せるという状況から、まったく本音は隠すという程度までばらついている。
「風通しの悪い職場」でよくあるのは、「とにかく、こうやりなさい」というやつ。
やらせる方は、「やってみないとわからないから、とにかくやらせる」という事を考えているが、若い人たちは「なぜそうしないといけないのか」と不満を募らせるケース。

コーチング上は、体育会風に上司が高圧的に上意下達をする人はよくないとされている(と思う)。
でも、世の中にはそういう職場もある。
だから、体育会を優先的に採用するという会社もあるのだろう。

ぼくはトータルで35年勤めたが、ぼくは体育会系でもないし、職場も体育会系の職場ではなかった。
だから、具体的にどんな職場かはわからない。

でも体育会系を雇う側は、「ストレス耐性が高いこと」や「理不尽だと思うことでも従える」というようなことがあるから雇うと聞く。
だから、上の命令は絶対であり、上意下達の上司がいる、ということだ。

ぼくはそういう職場でなくて、よかったと思う。
25年働いた職場は、外資の影響もあり、比較的自由な職場だったし、その後の10年は学校法人だが、ここはもうちょっと上意下達したほうがいい、というくらいの職場だった。

会社の社風で片付けてしまったらよくないのだろうが、職場の雰囲気は簡単には変わらないのも事実。
でも、そういう会社はこれからの時代、生き残れるのだろうかと思う。

上意下達自体が悪いとは思わない。
経営者の方針を共有することは大事だからだ。
問題はそれが正しくなかったときや、正しかったが状況が変わって正しくなくなった時に、どう修正するかということだ。
そこが組織にとって、一番難しい。
東芝だって、悪いところは分かっていたが、なかなか変えられなかった。

最近、組織のメンバーの多様性(ダイバシティ)ということが言われるが、いろんな人がいて、いろんな意見があると必然的に風通しが良くなるだろう、ということだ。
画一的な価値観の組織は、硬直化してしまい、変化の大きな時代は生き残っていけない。

日本の企業は高度経済成長時に成長体験をしているから、その時代を知っている人はなかなかその時のやり方を変えられないのだろう。
でも、上が変わらないと、なかなか下からは変えられない。

だから若い人の意見は「伝えても何も変わらない」ということになるのではないか。



| | 考えたこと | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |