考えたこと2

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奨学金問題の問題
奨学金に関する記事があった。
なかなかいい記事だ。分析もスルドイ。
実際、当たっている。

ぼくも奨学金の説明会に手伝いで出たことがあるが、「予約」というのがあるのだ。
これは、高校で大学の奨学金を予約する、ということ。
高校の先生が、親が働きたいと言っている生徒にも、大学に行ったほうがいい、奨学金があるから、みんなもらっている…、などと言って奨学金があるから大学に行けと言っている例がある。
高校教師にとっては、就職させるより進学させたほうが楽なのだ。
それが大学全入ということの意味。
高校にとっても、進学校と言われるから評判が良いのだろう。
だから、親は働いたほうがいいと思っていても、大学に行くことになる。
当然、そういう学生は奨学金を「予約」するのだ。

そんなふうにして、どう考えても働いたほうがいいと思う生徒が大学を受験する。
もちろん、どちらかというと下位の大学。
記事は分析する。

「これを見ると明らかに、滞納する場合は学校の先生や職員に勧められてるケースが多い。無延滞は12.8%なのに延滞者は35%なのである。高校の教師が職員が無責任に奨学金という名の学資ローンを勧め、そのとき「返済義務があることを説明していない」のではないだろうか。
ここで、高校側が、進学率が高いほうがいいから、その子の学習意欲や本当にお金が返せそうかとか全く見ずに「とにかく進学しろ、金がないなら奨学金で」と無責任に勧めているんじゃないか疑惑が持ち上がったわけです。おそらく進学校ではないです、そういうとこは。18歳やそこらの子に大きな借金をさせるわけで、高校はきちんと説明する義務があるんじゃないかと思いますが、間違ってますか?
高校教師におきましては「こいつに自分の金貸したら返すかな」くらいで判断して欲しい。」

奨学金の返済を延滞する人の比率が、高校で奨学金を勧められた人ではそうでない人より20%も多い、という結果をみて言っている。
全く正しい。

ぼくがいた大学では、「奨学金は自分の借金であること」「必ず返すこと」「返さないとエライことになること」「最悪、勤め先に取り立てに来ること」「だから、できるだけ少額を借りること」を徹底していた。
オリエンテーションで口を酸っぱくして学生に言う。
それでも、親が同伴で来ていてたくさん借りる学生もいる。
その光景を見ていると、奨学金が学生のためなのか、学校経営の補助金なのか、よくわからなくなる。

なぜぼくが奨学金のオリエンテーションの手伝いをしたかというと、それをパソコン教室でやるからだ。
奨学金とパソコンが、なぜつながるのかわからなかったが、出てみてわかった。
その場でインターネットで申し込みができる仕組みになっている。
こういうところだけ、ペーパーレスになっているところが驚かされる。
数百万円の借金が、クリックだけでできる。
これで学生によく考えなさい、というのはどうかと思う。

若い職員が、とにかく借りたら月々の払いが厳しいという話をする。
4年後就職できても、初任給はそんなにもらえないこともあるぞ、という話だ。
でも、その話を聞いた後すぐに手を上げて、月々の奨学金の額を上げていいですか?という学生が毎年何人かはいる。

そんなふうにして、彼らは4年後借金を背負って出て行く。

事務のぼくらはそういう学生を何とかしてまともな社会人にするべく、頑張らないといけないと思う。

でも、残念ながら今の多くの下位大学の仕組みは、そういう底辺の学生を勉強させるようにはできていない。
教育システムが、そういう学生を育てるようになっていないのだ。
大学教員はそんな学生を教えられないし、カリキュラムもそういう学生を救えない。
一部の大学は小数や分数の計算や、アルファベットの筆記体の書き方などを教えていると言って、「これが大学か」と叩かれた。
でも、それらの大学は本気で入れた学生を育てようとしているからこそ、そういうカリキュラムを入れたのだろう。
今の中等教育の状況では、それもやむを得ないのだ。
それだけ、中等教育が傷んでいるという事実を文科省の役人はどう考えているのか。
ぼくは敢えてそういうことをしている大学はエライと思う。

ところが、文部科学省はそういう大学に、カリキュラムが大学教育にそぐわない、という注意をした。

それは、たしかに事実だ。
大学が批判されるのは仕方がない。
儲け主義で、自らの教育システムで育てられない学生を入学させるのはヨクナイことだ。
そんな学生は入試でなぜ落とさないか、と言われたら身も蓋もない。
教員や職員、学校法人の儲けのために入れている、ということになる。

でも一方で、もっと高校をちゃんとするべきだと思う。
どう考えても、社会に出て働きながら社会人教育を受けたほうがいいと思う学生が、大学に来ている。
そんな進路指導は明らかにオカシイ。
教師が、自分たちが楽をするために進学させているのだ。

さらに、初等教育からのツケを何とかしないといけない。
大学に来ても、小学校で習う計算や中学校で習う英語ができない学生がいる。
それは本当にやらないといけないと思う。

以前、ハローワークで高校で生徒の就職を世話している先生と会った。
年配でもう定年間近のようだったが、昔ながらの先生、という感じだった。
生徒の就職を決めるのに、一人ずつ職場に連れて行って、納得させ、人事担当者とも話をして、そしてフォローまでしている、という。
本当に面倒見のいい先生のようだった。
その話を聞いていると、頭が下がる。
そういう苦労を、若い進路指導の先生はしたくないんだろう。
だから、生徒に奨学金を「予約」させ、進学させる。

結局、そういう学生が、4年間奨学金をもらい、卒業して返せなくなることが多い。

いろんなところに問題がある。


| | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
アトムの未来になかったもの
手塚治虫が鉄腕アトムで描いた世界は、人間とロボットが共存する社会。
人間と一緒の学校に通うアトムが描かれていたと思う。
原子力を使った動力で動く。
今の日本なら、これは危ないぞ、と言われるだろう。

アトムはあくまで自力で考えていた。
自力、というのは自己完結と言ってもいい。
外部からの知恵というようなものはなく、アトムで描かれたロボットは、自分で考えることができるロボットだった。
アトムは自分だけの経験で学習し、育っていった。
それが、当時考えられていた人工知能だったと思う。
つまり、人間と同じように学習して、育っていく、というロボットだ。
最終回では自らを犠牲にして地球を救うという行動をとる。
そういう「心」さえ、人工知能は学習で得ることができる、という理想があった。

今、人工知能で銀行のコールセンター業務をやるとか、キャッチコピーを作るとか言われているが、それらはちょっと違う。
その人工知能のシステムは、なぜそんなことができるか、ということだ。
それは、知識を外部から取り込んで分析できるからだ。
そこにインターネットが活躍する。
例えば、銀行のコールセンターでの質問と答えの事例の情報をインプットする。
日々の事例をインプットしていくと、質問に対する対応が予測できるようになる。
そんな、多くの人の経験を取り込んでいるから、業務ができるようになるのだろう。
それらを実現するのが、インターネットの仕組みだ。

インターネット上にはあらゆる情報があふれている。
それも、コンピューターが使いやすいように電子化されている。
それらを利用することで、人工知能は学習できる。
人間は何を学習したのかはわからない。
機械が勝手に学習する。
そんな仕組みで今の人工知能はできているらしい。

手塚治虫がアトムを描いた時には、インターネットというものは想像もできなかったと思う。
インターネットができた時も、多くの人が今の時代の使われ方を想像していなかった。

アトムで描かれた未来になかったもの、それがインターネットだ。

そして、そのインターネットが世の中を変えていこうとしている…。



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