考えたこと2

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自ら変わろうとしない人は放っておくべきだ
この言葉は、スモール・イズ・ビューティフルという本に出ているらしい。
アフリカのNGO活動をしているイタリア人が言っていた。
NHK教育テレビ(今はEテレ)のTEDというプレゼンの番組。

書き方が唐突だったが、経済支援をするときには、どうしても支援する方の視点で見てしまう。
それを戒めた言葉だ。

彼の話によると、最初アフリカのザンビアで農業をやることを教えようとしたらしい。
ザンビアの人にトマトの作り方を教え、農地を開拓し、大きなトマトがたくさんなった。
イタリア人は喜んでいたが、ある晩カバが何頭か来て全部食べてしまった。
ザンビア人は「だから我々は農業をしないのだ」と言ったとのこと。

だから、教えてはいけない。
現地の人が何をしたいのか、1人ずつ聞いてまわるのだ。
集会など開いても、何かしたい人は来ない。
パブなどを回って話をひたすら聞く。
そして、現地の人がやりたいことを支援すると、新しい仕事が生まれる。
そういう話だった。

似たような言葉で、大学で仕事をしている時によく聞いた言葉が「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」というもの。
いくらお膳立てをしても、本人にやる気がなければどうしようもない、ということだ。

大学の事務は、学生のやる気を出すためにいろんな仕掛けを作る。
セミナーを開いたり、課外活動を支援したり、先輩を使ったり…。
でも、いつも問題になるのは、支援している間はサマになるのだが、学生に任せたとたん、活動がしぼんでしまうというもの。
それと同じなんだろう。

学校が準備した枠の中で活動するのは簡単だ。
極端に言えば誰がやっても形になる。
でも、それは実際には学生の役にはあまり立たない。

このイタリア人のプレゼンターのように、我慢をして、一人ひとりに聞いて回ることが大事なんだろう。
間違っても集会を開いてはいけない、集会に来る人は何かをやりたい人ではない…か。
そうかもしれない。
ひたすら黙って話を聞く。
これは本当に難しい。

でも、単にNGO活動というより、教育という意味で真実を表しているのかもしれない。



| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
奨学金問題
学生支援機構というと、奨学金を管理・運営している団体だ。
名前通り、学生の支援をしている側面があるが、一方で学生の未来を潰す金貸しという側面もある。
それはひとり学生支援機構が悪いのではなく、高校や大学の指導が悪いという側面もある。

親の世代にとって、「奨学金」というのは響きがいい。
そのころ、奨学金というのはある程度勉強が出来る人、かつ家庭の収入が少ない人に支給されたものであって、ほとんど利子もつかず、場合によっては返さなくてもいいものだった。
それは第一種奨学金として残っている。
今問題になっているのは第二種奨学金と言われるもの。

第二種奨学金は金利がついて返さなければならない。
多くの学生が希望すれば借りることができる。
当然、本人の借金になるので、4年間借りたら返し始めないといけない。
就職できなかったら、返せない。
猶予はしてもらうことができるが、それでも限度がある。
会社に電話がかかってきたり、ひどい時は会社に取り立て屋が来るという。
学生支援機構が、外部に取り立てを丸投げするのだ。

実際に返すお金は3万円を4年間借りて、1万1千円ずつ13年で返す。
トータル144万円借りて、返済総額は176万円になる。
初任給から毎月1万1千円程度を返すのはまあ何とかなるかもしれない。
しかし、5万円借りると1万6千円を15年返すことになる。
240万円借りて、返済総額は301万円。
月々1万6千円の15年はキツいだろう。

そもそも、この奨学金のシステムは、借りた人が返して、次の借り手が借りるというふうに順繰りに回していくというもの。
当然、借りた人が返さないと、次の人が借りられない。
でも、就職できなければ、奨学金は返せない。
就職出来る人は大学を卒業して社会にでる人のうち、約8割が正規雇用と言われている。
しかし、3年以内にその職を離れる人が3割以上。
また、最初から非正規の職場につくひとが2割程度。
つまり、卒業した人が100人いると、正規雇用につけた人が80人だが、それも3年たつと56人になるということだ。
新卒一括採用といっても、3年経ったら約半分の人しか残らないのが現実。

もちろん、辞めて別の会社の正規採用になる人もいるだろうし、卒業した時は非正規でも正規雇用のところに就職する人もいるだろう。
それでも、この統計から見ると、現在の若者の雇用はかなり不安定なのだと思う。

そういう状況の中で、大学生の2.6人に1人が奨学金を借りている。
それならやめてしまえばいい、というのは簡単ではない。
奨学金は学生の支援だけでなく、それを通じて大学の支援にもなっているから、やめたら大学が潰れるという問題もある。

でも、大学は多すぎるのだから、潰したらいいということもあるだろう。
それには賛否両論ある。
問題は複雑だ。

でも、ぼくの意見は、本当に学生のためになっている先生がどれだけいるか、ということだと思う。
そういうと、すべての先生が「ためになっている」というだろうが、本当に学生のために汗をかいているか、それを評価する仕組みを作らないといけないと思う。

そういう先生がたくさんいる学校なら、残ってもかまわない。

それ以外の学校は潰してもかまわないと思う。

若い人は足りないのだから、ちゃんと力をつけたら必要とされるはずだ。
それができていないのは、1つは高校までの教育が機能していないと思われる生徒が多いこと、大部分の大学が経営のためにどんな学生でも入れること、そして入れた学生をちゃんと教育できる大学が少ないこと…、この3つだと思う。

それを何とかすれば、奨学金制度は今のままでもかまわない。

でも、現状では借金を背負って卒業していくのが気の毒な学生が多いのが真実だと思う。


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